新譯華嚴經音義私記倭訓攷

五 賢首の新譯華嚴經音義

賢首の新譯華嚴經音義の事は、前の新譯華嚴經音義私記解説に於いては、極めて簡略に記したに過ぎないが、今やゝ詳しく書いて見る。さて此の音義の事は、新羅の翰林學士崔致遠が、天復四年春(我が延喜四年に當る、賢首歿後百九十二年目)に書いた賢首大師傳…

四 字音假名索引

音義私記使用の一字一音の假名のみを擧げ(一字二音の音假名は無く字訓假名と見る可きものも無い)それの使用せられて居る語の番號を記した。但し五十四の「去末爲耳」は意味不明だから省略し、また大治本の用字も全部除いた。濁音假名は確かなものだけを濁…

三、倭訓索引

右に箋註した新譯華嚴經音義私記所見の倭訓、及び大治本八十經音義所見の倭訓の五十音索引である。假名書のは片假名に改め、下に其の訓に相當する漢字を附し、心刺・大神の類は其のまゝで擧げた。語は或る可く分析的にし、ヒトニギリはニギリにも擧げると云…

一七〇 猫狸(七八)

○一七〇 猫狸(七八) 上又作㆓貓字㆒、亡胡亡包二反、下力甚反、猫捕鼠也、眉也、ニ又漢云野貍、倭言上尼古{ネコ}、下多〻既{タタケ} 慧苑に無し。經文〈三八一ウ上一一〉に善男子譬如㆓猫狸㆒とある。ネコは興福寺本靈異記第卅話に「狸禰己」、新撰字…

一六九 樂絃(七八)

○一六九 樂絃(七八) 又作㆓弦字㆒、奚堅反、所㆔以張㆓弓弩等㆒、倭言都留{ツル}、又乎{ヲ} 慧苑に無し、經文〈三八〇オ下四〉に法樂絃とある。ツルの語は、國語辭典は保元、長門本平家、太平記を引いて居るに過ぎない。しかしユミツルは和名抄に見え…

一六八 罥索(七八)

○一六八 罥索(七八) 上‥‥古犬反、罥係取也、倭言上和那{ワナ} 省略の所は字體に關する六字を省いたのである。慧苑に無し。ワナは記紀の宇陀の高城の條の神武御製に、宇陀能多加紀爾、志藝和奈波留とある。

一六七 鉗鑷(七八)

○一六七鉗鑷(七八) 上宜作鈷字、奇沾反、鈷持也、取㆑物者也、鍛具曰鈷鉗類也、鉗以㆑鐵有㆑所㆓結束㆒也、倭言多波都〻{タハツツ}、下女×反、車綦也、倭言鼻毛艾利{ハナゲカリ}(×は犬篇に葛) 慧苑にもあり、私記は慧苑による。經文〈三七八オ上尾四…

一六六 利鋸(七八)

○一六六 利鋸(七八) 居庶反、截㆑物者也、故經云、齒如㆓鐵鋸㆒、倭言乃富岐利{ノホキリ} 慧苑にも私記にも無い。經文〈三七八オ上一三〉に菩提心猶如㆓利鋸㆒とある。富はホだからノホキリである。新撰字鏡には乃保支利の訓が天治本だけでも七つも見え…

一六五 舟楫(七七)

○一六五 舟楫(七七) ‥‥楫倭言加伊{カイ}、‥‥櫂‥‥倭言加地{カヂ} 慧苑、音義私記にも見えるが私記は慧苑に據つたもので、大治本とは異る。さて此のところ、活字にはありさうも無い字が多いので、字を普通のに改め註も省略した。カイもカヂも同じ物で、…

一六四 傭長(七五)

○一六四 傭長(七五) 上應作㆑×、傭同、恥恭反、字從㆑肉、不㆑從㆑用、故傭非㆓此要㆒也、×者×滿也、‥‥倭言麻利〻加爾{マリリカニ}〈○以下略〉(×は〈旁は庸/篇は月〉) 慧苑にも音義私記にも無し。經文〈三五九ウ下一〉には兩肩平滿雙臂×長とある。‥‥…

一六三 被甲(六九)

○一六三 被甲(六九) 上皮義反、可何布流{カガフル}、下可夫度{カブト} 慧苑にあり、反切は慧苑に一致する。經文〈三三〇ウ上二〉に被㆓大精進甲㆒とあり、例により大精進を甲に喩へて居るのであるご。甲をカブトと訓むは宜しく無い。カガフルは十七卷…

一六二 欲度溝洫(六八)

○一六二 欲度溝洫(六八) 溝古候反、美序{ミゾ}、深四尺、洫許域反、所㆔以通㆓水於川㆒、度深各八尺也 慧苑にも、大治本にもあるが、私記著者は、兩方を折衷して此の註を作したのである。ミゾは五十九卷一二一に於いて述べた。

一六一 晨霞(六八)

○一六一 晨霞(六八) 音計以{ケイ}反、可須美{カスミ} 計以はケイで霞の和音を示すのであらう。假は呉音ケだから霞にもケの音があつても不思議では無いが、ケイは珍しい。霞は記に春山之霞壯夫{カスミヲトコ}が見えるが、假名書は無い。萬葉には假名…

一六〇 重霧(六八)

○一六〇 重霧(六八) 下奇利{キリ} 第二十三卷七四にも奇利とある。假名正し。

一五九 蹈彼門閫(六八)

○一五九 蹈彼門閫(六八) 蹈、徒到反、閫、苦本反、蹈蹋也、閫門限也、之岐美{シキミ}、又閫字爲×(旁は困/篇は木)也 慧苑に據つて居る。和名抄に之岐美、俗云、度之岐美、枕草子第二段にもトジキミとあるが新撰字鏡は天治本も享和本も止自支に作るので…

一五八 接我脣吻(六八)

○一五八 接我脣吻(六八) 接正可㆑作㆓唼字㆒、與㆓ //d.hatena.ne.jp/images/diary/O/Okdky/2008-03-23.gif" alt="〓{口篇ニ師ノ旁}">×字㆒同、子盍反、入㆑口曰㆑、倭言須布{スフ}、脣口也、吻、無粉反、謂㆓脣兩角頭邊㆒也、口左岐良{クチサキラ}:…

一五七 抱持(六八)

○一五七 抱持(六八) 上取也、牟太久{ムダク} 慧苑に無し、萬葉集十四〈三四〇四〉に上野{カミツケヌ}安蘇ノ麻{マソ}ムラカキ武太伎寢レド飽カヌヲ何{ア}ドカ吾ガセムとあり、成實論天長五年七月點に拘をムダカバと訓んで居るが、其の萬葉集も、抱…

一五六 諦視一尋(六八)

○一五六 諦視一尋(六八) 明見而一向推也、倭云多豆奴{タヅヌ} 慧苑に無し。萬葉集二十に山川ノサヤケキ見ツヽ道ヲ多豆禰ナ、他にも例はある。奈行下二段の終止形は乙類の奴で可い。

一五五 良久(六七)

○一五五 良久(六七) 玉篇曰、良猶長也、長對㆓於促㆒、非㆓暫時㆒也、夜〻比左爾安利天{ヤヤヒサニアリテ} 慧苑と同じ、但し慧苑は促を短に作る。暫字、私記も慧苑も斬の下を足に作るが、暫に同じであるから、印刷の不便を考へて變へた。ヤヤの假名書は…

一五四 機關(六七)

○一五四 機關(六七) 船和可川利{フナワカツリ} 慧苑に無いが、經文〈三二〇ウ下尾一〉に其船鐵木堅脆、機關澁滑、水之大小、風之逆順とあり、船に關して居るから、船ワカツリ〈複合轉韻によりフナワカツリであらう〉と訓註して居るのであり、ワカツリは…

一五三 堅脆(六七)

○一五三 堅脆(六七) 〻奇伊反、危也、毛呂之{モロシ} 慧苑に無し。脆字、目篇に作るは非、今意改す。さて音を奇伊反として居るのは、旁により誤つたのだらうが〈但し、危に引かされた音としても、標記は正しく無い。反切とすればこれでは合音を示さぬし…

一五二 齅(六七)

○一五二 齅(六七) ‥‥訓加久{カグ} 文字形に關する註が、十字あるが、印刷に困るし又、必要でも無いから省いた。慧苑に無し。カグは六十三卷一〇七にも見える。

一五一 蚊蟻(六六)

○一五一 蚊蟻(六六) 上可{カ}、下音疑、訓安利乃古{アリノコ} 慧苑に無し。カは三十五卷一〇九にはカアと長呼の形で見える。蟻は萬葉集に、安利我欲比、有我欲比を蟻通{アリガヨヒ}、蟻往來と書き、安里伎奴能を蟻衣之と書き、アリの假名に使用する…

一五〇 激電震雷(六六)

○一五〇 激電震雷(六六) 激、經歴反、急也、云水文凝邪疾急也、電引也、震動也、雷倭言伊可豆知{イカヅチ} 慧苑に無し。雷は記黄泉の條に八雷神の事見えるが、假名書はない。しかし記の建御雷之男神を、紀で武甕槌神と書いて居るから、雷をイカヅチと訓…

一四九 煑(六六)

○一四九 煑(六六) 湯爾{ユニ} 前條で引いた經文に以㆑湯煑とあるから、湯字を添へてユニと註したのであらう。湯は、萬葉に由・遊・喩などで書く助辭のユを、三芳野ノ眞木立山湯{ユ}見降セバ、と云ふ樣な例がある。ニルの語は第十卷二五のニイルゾの條…

一四八 剥皮(六六)

○一四八 剥皮(六六) 上波川流{ハツル}、音 經文〈三一五オ下八〉に截㆓耳鼻㆒或挑㆓其目㆒或斬㆓其首㆒或剥㆓其皮㆒或解㆓其體㆒或以㆑湯煑とあるもの、波川流はハツルで、靈異記上十六話にハツリテ、興福寺本に波□利天とあるが虫損にて不明、金剛般若集…

一四七 斬首(六六)

○一四七 斬首(六六) 上岐流{キル} 一つ前の一四五參照。

一四六 挑(六六)

○一四六 挑(六六) 天彫反、久自流{クジル} 慧苑にあり、反切のみを記す。しかし天を夭字に作るは非。神武紀に椎根津彦、弟猾の二人が敵地の天香山の土を採りて來て作つた器に天ノ手抉があり多衢餌離{タクジリ}と註して居る。挑に抉の義は何うか。

一四五 截耳(六六)

○一四五 截耳(六六) 上岐流{キル} 慧苑に無し。キルは一つ置いて次ぎにも岐流とある。顯宗紀室壽の條に岐利(伐㆑本、謨登岐利)、記大山守命の條に伊岐良ズゾクル、自動詞は清寧段歌垣の條に岐禮牟柴垣とある。キの假名正し。

一四四 臂(六六)

○一四四 臂(六六) 音比、訓多太牟技{タダムキ}、肘比地{ヒヂ} 慧苑に無し。肘字、經文に〈三一五オ上尾二〉は存せない。タダムキ・ヒヂの事は六十五卷一四一参照。