一
日本島に棲息して居たとは動物學的に信ぜられぬ大蛇・
敵 みたる虎か吼ゆると……虎に乘り
古屋 を越えて……
韓國 の虎ちふ神を生け捕りに……
などゝ見えて居り、
和名類聚抄〈七ノ五五オ〉「説文云虎〈乎古反、止良〉山獸之君也」
の訓から見れば、又萬葉集の句に於ける字數から察すれば、此の虎字は無論トラと訓まなければならないものであつた。
持統紀三年七月の「生部連虎」
皇極紀四年正月の「鞍作得志以㆑虎爲㆑友」
天武紀朱鳥元年二月の「虎豹皮」
欽明紀六年十一月の膳臣巴提使の虎
の如きも無論トラであらう。虎と云ふ人名のものも、生部連虎の如くに存するが、他にも正倉院文書に
物部刀良
中臣部刀良賣
尼君刀良
秦部刀良
上屋勝刀良
と云ふ名がまことに夥しく見える。當時の人名には牛・馬・羊・犬・猪・熊・龍・鳥其の他の動物名のものが夥しいから、此の「刀良」も無論虎であらう。
斯う云ふ風に、虎は日本に居ない動物ではあるが、日本語としてはトラと云ふ名を古くより有して居たのであつたが――日本に居ない動物が、日本語式な名稱を有して居る例は、和名抄などの辭書を檢すれば珍しくない事であるのは云ふまでも無い――恐らくは、日本人が虎と云ふ動物に關して多少の知識を得た當時からのものであつたかも知れない。