2007-10-01から1ヶ月間の記事一覧

一六 騰暉綺(五)

○一六 騰暉綺(五) 上音登、訓擧也、暉音貴、訓照也、綺音奇、訓加尼波多{カニハタ} 此の語、慧苑に無い。經文〈二四ウ上五〉に布影騰暉若㆓綺雲㆒とあるものゝ註である。前にも〈二三ウ上一〉綺麗とあり、綺は單に美しいの義で使用せられて居る。此の綺…

一五 棟宇(五)

○一五 棟宇(五) 上都弄反。屋×也、×於靳反、脊也〈○十八字中略〉倭言牟年{ムネ} ×は木篇に,㥯を旁とした文字。漢文註は慧苑に據つたのだが、慧苑に見えない事もありて私記の方が長い。胸の假名書は記・萬葉に珍しく無いが家屋のムネは見當らないやうで…

一四 鈴鐸(五)

○一四 鈴鐸(五) 上須受{スズ}、下達洛反、奴利天{ヌリテ} スズは古事記輕太子の條に「あゆひの古須受」とあり萬葉にも須受と書いたのが三例ある、此の假名はかなり固定して居たのか〈和名抄は漢語抄により鈴子、須々と訓じて居るが、これでは清濁不明…

一三 泉澗(四)

○一三 泉澗(四) 音間、訓左波{サハ} 此のサハは無論澤のサハと同語である。富士の奈流佐波のサハも亦澤である、多いの義の左波爾〈萬葉に珍しくない、記に「つゞら佐波卷きさみ無しにあはれ」〉を「あめの下に國はしも澤二{サハニ}あれども、」「里は…

一二 慰安(三)

○一二 慰安(三) 上於謂反、注曰、自㆑上撫㆑下曰㆑慰、下得㆓上慰㆒曰㆑安也、撫、奈豆{ナヅ} 慧苑による。ナヅの假名書は萬葉集に珍しく無い。「父母がかしらかき奈弖、」「やまぶきは奈埿つゝおほさむ」又、紀の脚摩乳・手摩乳は記に足名椎・手名椎と…

一一 摧殄(二)

○一一 摧殄(二) 音最、訓久太久{クダク}、下徒典反、病也、盡也、滅也 クダクも神代紀一書海神言の段に鐵鋺既破碎などとあるが、古い假名書例は見當らぬ、下の一三五にも一例見える。太は濁音假名。

一〇 旋澓(一)

○一〇 旋×(一) (三十二字略)梁、力將反、橋也、二字波之{ハシ}(×は三水に復を書いた字) これは旋×の註中に存するが、無關係である。經文にも此の註に相當する語句が無いのだが、經文では多くの主水神の名を列擧して居る中に、福橋光音主水神と云ふの…

九 皆砌(一)

○九 皆砌(一) 上古諧反、道也、上進也、陛也、下千計反、限也、倭云石太〻美{イシダヽミ} 皆は階の誤、こゝは大治本に「上古諧反、進也、上進也、説文陛也、下且計反、砌限也云〻、倭言石太〻美」〈倭を人篇に妾を書いた字に誤る〉とあるに據つたのだ、…

八 堂榭(一)

○八 堂榭(一) 下辭夜反、堂上起屋也、倭云于天那{ウテナ} 堂上起屋也は爾雅の郭璞注の言にて、慧苑にも引かれて居るが、此の私記の文は、大治本に「下辭夜反、臺上起屋也、倭言于弖那」とあるに據つたものである〈大治本、倭を木篇に妾を書いた字に誤る…

七 筌(序)

○七 筌(序) 音宣、訓于閇{ウヘ}也、謂㆑教也 慧苑に無し。神武記作㆑筌有㆓取㆑魚人㆒とあるのをウヘヲフセテと訓んで居るが、古い物に假名書が見えぬし、又ウヘの語原も判らぬから、ヘの假名が正しいか何うかも判らぬ。への假名ある語は他に三語見える…

六 添(序)

○六 添(序) 音訓祖布{ソフ} 音某訓云々の音註が落ちて居る。ソフは「い蘇比をるかも」〈記應神段〉「かは泝比やなぎ」〈顯宗紀〉「身に素布いも」〈萬一四〉などゝ珍しく無い。二段活のも萬葉に見える。祖の假名はこれで正しい。

五 筆削(序)

○五 筆削(序) 下音、刪去也、刪音讃、訓波夫久{ハブク}、筆謂㆓増益㆒也 慧苑と一部合ふ、「下音」の下に音を示す文字がある可きだ。ハブクも古い假名例が無い。夫は濁音假名である。

四 挹(序)

○四 挹(序) 因入反、酌水也、謂以㆑心測㆓度於法㆒也、酌音着、川久牟{クム} 註は一部慧苑と合ふ。川は訓字の旁を符號的に使用したもので、和訓の義である、點本や辭書に珍しく無い、今後は皆訓字に改めて引く。さてクムと云ふ假名書は無いが、萬葉集に…

三 架險航深(序)

○三 架險航深(序) 架謂置㆑物在㆑高懸虚㆑之上也、亦云、波之由布{ハシユフ}、航何剛反、説文曰方舟也、言遠來者、莫㆑不㆑登㆓度深險㆒也 慧苑と一致する、大治本とは一致せぬ。漢文註は棧{ガケハシ}式のものを云ふのだが、ハシユフが棧式のものを作…

二 叨承(序)

○二 叨承(序) 上他勞反、參也、食也、貪也、餐也、又和豆可爾{ワヅカニ}、餐蘇昆反、食也〈○參は忝の誤り〉 此の註慧苑とは一部一致するに過ぎない。豆は濁音ヅを示す〈本書中十二例あり皆ヅ〉さてこゝは朕曩劫植㆑因叨承㆓佛記㆒とある、叨はミダリニの…

一 苞括(序)

○一 苞括(序) (四十四字略)×又裹同、倭言都〻牟{ツツム}(下略六字)〈×は果の下に衣を書いた字〉 苞括は慧苑の音義には見えぬ。其の苞字を説明して×也と註し、さて其の×字について、ツツムと訓ずる由を云つて居るのである。萬葉集に×字をツヽムと訓ん…

一、緒言

此の倭訓攷は、新譯華嚴經音義私記に見ゆる倭訓と、同じ新譯華嚴經の音義の大治三年書寫本に見ゆる倭訓とを抄出して、箋註したものである。其の音義私記は二卷、新譯華嚴經(卷數が八十卷あるので六十卷の舊譯{クヤク}に對し、八十華嚴經と云ふ)を譯出す…

内容

一、緒言〈一〉 二、箋註〈五〉 三、倭訓索引〈八三〉 四、字音假名索引〈八七〉 五、賢首新經音義と大治本音義〈九三〉

新譯華嚴經音義私記倭訓攷

岡田希雄 『國語・國文』11(3); 1-95 (1941)

さて以上は新村先生の高段を忖度的に敷衍し、且つ微弱な疑ひを述べたものである。要するにかいつまんで云へば「トラは朝鮮濟州島の古名なる耽羅(度羅・吐羅・屯羅)に因む名であらう。但しこれを認めるとなると、トラと云ふ名の發生をかなり新しい事と認め…

だがたゞ一つ私の訝しく思ふのは、耽羅が我が國に通じたのは、比較的新しく、齊明七年である事である。耽羅の事が百濟を通じて日本人の智識に入つたのは、繼體朝ごろ、或ひは其れより古い時代まで溯り得ようが、其の耽羅が我が國に通じたのは、齊明七年の事…

さて耽羅と云ふ國は、然う云ふ國であつたのである。然らば此の國から生きた虎、又は虎の皮を獻上し、其れとともに、トラの國から來た動物と云ふ意味で、其の虎をもトラと呼ぶに至つたかも知れないと云ふ事は カナリヤ島のカナリヤ カンボヂヤのカボチヤ(南…

さて此の耽羅は、海中にありて半島より隔離して居るのだから、もとは獨立して居たらしいが、百濟{クダラ}の文周王二年(我が雄略天皇二十年に當る)には百濟の屬領の如くに成り、其の後百濟が衰へると、耽羅國主は、新羅文武王元年(わが齊明天皇七年、即…

さて耽羅と云ふのは、朝鮮半島南部の大島濟州島の事であり、我が國とは、一時かなりの交渉があつて、文獻には屡々見えて居るのである。即ち日本書紀について云へば左の如くである。 繼體紀二年十二月。南海中耽羅人初通㆓百濟國㆒(○希云、半島側の記録では…

私は虎の語原について、あさはかな、たわいもない妄説を、おほけなくも物して、本誌に呈出し、第一囘の校正刷を見たのであるが、其の直ぐ後から、自説を取り消すのがよいと考へるやうに成つた。其れは新村博士の御説を伺ひ、自分の妄説の取るに足らぬ事を、…

虎の語原と耽羅國

岡田希雄 『ドルメン』2(10); 18-23 (1933)