2010-08-01から1ヶ月間の記事一覧

語法的な事について云ふと、格助詞「と」が承ける述語は係結の無い場合は當然終止形であるべきだのに詠歎か何かで、連體形と成つて居る例は珍しく無いが、地の文に於ける終止の「けり」が「ける」、と連體形になつて居る例が、 さて、その心ざしをとげたまひ…

最後に本書中の語彙で注意すべきもの、を列擧する。淺學な私では理解できぬものも擧げて、識者の教示を乞ふと共に、私の備忘用ともする。 ○あやむ〈下一一ウ〉 諸本「あやしむ」に作るが、爲相本にのみ斯くある。怪しむだが、これで可い。既述。 ○あはたかし…

下卷「なにがしの院の女房の釋迦佛おたのむこと」の條に、著者のほの知つて居る某の院の女房が、病氣と成つたのを、著者が見舞に行つて、いづくの淨土を心に懸けて居るかと問うたところ「なにとなくたのみなれにしかば、靈山淨土にむまればやとおもふ也」と…

野村博士が、近古時代説話文學論の中で、本書下卷に見える長谷寺へ月詣する女の話と、長谷寺靈驗記下第二十七話との關係を考察し、閑居友は靈驗記から取材したのであらうと論ぜられたについて、解説は鎌倉末期を下らざる古寫本靈驗記の本文を擧げ、且つ閑居…

なほ爲相本の本文について氣づいた事を述べると左の如き事がある。 ○下卷十一裏、例の長谷寺月詣女の條に「この事あやしむべき人にはあらで」とある「あやしむ」が、諸本此の通りであるのに、爲相本に限りて「あやむべき」とあるので、解説は「あやしむ」と…

前田家本は古寫本だから、木版本よりは無論勝れて居るが、中には惡い所もありて、其れは解説で指摘せられ居る。が其の中で一番大きな錯簡に關する説明が少し不充分であると思ふから左に述べる。其れは上卷眞如法親王傳の所であり、木版本で云へば一丁裏八行…

本書の本文としては、寛文二年四月版〈後摺もある〉と續類從中の活版本とが存したのだが、傳爲相筆と云ふ極札ある鎌倉末期の古寫本が、今度複製せられたのであるから、學界としては大變悦ぶべきである。校異表は、前田家所藏の譚玄本、其の他木版本、續類從…

慶政説を支持するにも、否定するにも、今少し慶政の傳記を明らかにせなければならないのだが、其れが今のところ困難である。例へば、本書の作者の生地は、上卷末の記事に「からはしちかき川原」〈爲相本は誤寫して居る〉が作者の「ふるさと」に近かつたと記…

本書は何時頃よりか知らぬが、慈鎭和尚の作であると傳へられて來たが、烱眼なる契沖は、丁度、同じ樣に慈鎭作と傳へられて來た色葉和難抄をば、然に非ずと否定した如くに、本書も亦慈鎭の作で無い事を明言した。其れは本書の著者は渡宋僧である事が判るから…

前田家藏傳爲相筆本閑居友を見て

岡田希雄 歴史と國文學 23(4): 11-24 (1940) 前田侯爵家の傳爲相筆閑居友上下二帖が、尊經閣叢刊戊寅歳配本として、本年四月二十日附けで複製せられた。たま〳〵先日藤井乙男先生の御宅へ參上したところ、「見たか」と云つて本を見せて下さつた。私が以前〈…

歌人藤原長能の歿年に就いて

岡田希雄 歴史と國文學 27(3): 41-44 (1942) 蜻蛉日記の記者との肉親關係や、(異父兄であるらしい事が吉川氏により推定せられた)公任の一言で悶死したと云ふ不名譽な逸話やらで、比較的よ−名の知られてゐる歌人藤原長能{ナガヨシ}の歿した年についての考…

以上で大體眞草本と元和版との關係を略述したつもりだが、斯う云ふ寛永版眞草倭玉篇としては、自分の見うるものは次ぎの如く三種ある。三種の中一つは後摺で刊行所の異る本であり、版種としては二種である。しかし其の二種は、冠彫關係にあるため、不注意で…

なほ眞草本が元和本の本文、但し主として訓注を破壞して居るか、其れとも訂正して居るかを檢するに、すでに眞草本の親本が元和版であるか何うかを考へる時に述べたやうに、元和版の良くないところを訂正して居る事が多い。なほ然う云ふ例としては次のやうな…

眞草本が元和版に據つたものである事が判明したから、さらに兩者の關係を詳述して見る。先づ部首について云ふと、眞草本は元和版(及び其の親本たる慶長版)の部首と、數及び種類に於いて一致して居り四百七十七部であるが、順序に於いては、僅か二箇處の相…

寛永版眞草倭玉篇攷(下)

岡田希雄 書誌學 14(4): 1-9

さて斯う云ふ眞草本の最初の刊行が何時であつたかは知らぬが――岡井博士が二十年本を最初とせられたのは宜しく無い――現存本では寛永四年九月のが最古である。ところで眞草二體節用集は慶長十六年に例があるが、二體節用集と稱するものが出たのは寛永三年六月…

さて中島翁本は寛永四年九月版、寛永二十年四月摺本、寛永二十一年七月版〈此の年十二月二十三日に正保と改元せらる〉の二版三種であるが、前二者は何れも第五卷のみの零本であり、二十一年本のみが完本である。だが此の四年版(及二十年本)とニ十一年版と…

倭玉篇の一類に眞草倭玉篇と云ふのがある。眞體即ち楷書體に草書體を添へたもので、節用集の二體節用集〈草を主、眞を從とした二行節用集にて、二體節用集の名のあるは、寛永三年六月刊の三卷横本が最初であるが、實質的には、既に慶長十六年九月刊行の美濃…

寛永版眞草倭玉篇攷(上)

岡田希雄 書誌學 14(3): 1-6