2007-08-01から1ヶ月間の記事一覧

一〇

最後に、おなにいの同義語を、參考までに左に掲げる。 ○五人組 類語大辭典に見ゆるもの。 ○手篇 寶永七庚寅年新板の八文字屋本寛濶平家物語卷四の「貧福さま〴〵の働」の條に見えて居る。近世文藝叢書本に詞は無いが、原本では恐らくはテヘンと訓んで居るだ…

がこゝに於いて、眼を轉じて古辭書所見の語彙を見るに、セスリと同じ形の語は全く見當らない。がモテアソブ、マサグルなどの訓のある事から、挊字がおなにいの義に使用せられるのが當然であると云ふ事だけは、判明するのであらう。ところで、セスリと同形の…

右に擧げた言葉共の考察は暫く措きて、センズリの語につき考察するに、セズリの條に、犬筑波を引かぬ言泉増補版は、セズリをセンズリの訛語と認めるものゝ如くにてセンズリに就いては「千摩」の義であると解して居り、更らに古く閑田次筆も亦、同じ解釋して…

ところが此の挊字が、おなにいの義を示すのにも登用せられたのである。而して與清は挊字に然う云ふ意味が存するのでは無いと解釋して居るが、其れは何うか。 與清は十誦律第五十六卷(○第五十二卷の誤か)間妄語事第四問十三事に「 」とあり、其の音釋に「挊…

だがしかし、此の語は徳川期では濁音語と成つて居り、又撥音介在語と成つて居た。そして漢字としては「挊」字を當てゝ居り、「當挊{あてがき}」の二字をAte-gakiと訓んで居た(松屋筆記卷六十一)。與清は是れに就いて、挊の字をさう訓むのは「つくりもじ…

カハツルミと云ふ古語が、おなにいを意味する語であつたと云ふ事は、大體認める可きではあるが、實の所右述の通りであつて、明證がある譯では無い。だがこれに反して、相當に古くより存し、しかも今日でも生きて居る語として、語史的見地から興味を引かれる…

Onanie語史攷 二

大藪訓世 『ドルメン』2(5)、pp.43-47.

ところで此の語は何を意味するか。自分は今おなにい關係の語を説くに當り引用したのだが、此の語は、從來――と云つても徳川期よりの事であるが――諸學者により、或ひはおなにいの義であると説かれ、又Paderastie(Sodomie)の義であると説かれて居り、一定して…

が此の「かはつるみ」の語はまた、有名な太秦{ウヅマサ}牛祭の祭文にも「鐘樓法華堂乃加波津留美」として見えて居る。一體此の牛祭は、祭禮其のものが異國的な、ぐろてすく極まるものとして、世間に廣く知られて居り、民族學的な研究の對象と成る可きもの…

其の一つは「かはつるみ」と云ふ語である。是れは、宇治拾遺{しふゐ}物語卷一の「源大納言雅俊一生不犯僧に金打たせたる事」の條に左の如くに見えて居るので、普く知られて居る。 是れも今は昔、京極の源大納言雅俊といふ人おはしけり。佛事をせられけるに…

題してOnanie語史攷と云ふのである。おなにい(Selbst-befleckung)其れ自體は、本能的であるとは云へ、公けに口にすべきではあるまい。だがしかし斯う云ふ事實が存する以上は、其の事を示す言葉に就いて考察する事を、卑猥なりとして唾棄する不眞面目な論者も…

Onanie語史攷

大藪訓世 『ドルメン』2(4)、pp.148-151