二
さて虎と云ふ動物は、日本國土には元來棲息して居なかつたのにも拘らず、トラと云ふ名を得たのである。外來名の借用であるか、外來物にわれ〳〵の祖先が、國語を以つて名づけたのであるかの何れかで無ければならぬ。しかして、外來物、もしくは日本國土には棲息せない鳥獸であり乍ら、國語に基づく名稱を有して居るものゝあるのは、多々例がありて珍らしく無い事であるから、虎が外國産のものであるからと云うて、其の名稱が國語を土臺として生れたもので無いとは斷言できぬ譯である。しかし同時に又或ひは外國語の借用であるかも知れないのである。
それにしても、先人らは、トラの語について外來語と見たか、純粹の國語と見たか、又其の語原について何う考へて居たかを檢して見ると、左の如くである。管見に入つたものを順序不同に擧げるに過ぎない。
- 日本外來語辭典(上田・高楠・白鳥・金澤博士等編)人を「捕る」と云ふ説、「於兎」と關係ありとする説の如き古説を述べて居るに過ぎず。
- 溯源語彙(理學博士松村任三氏大正十年七月刊行)に、トラのトは「抓 to. to scratch, to tear with the claws.」であり、ラは「裂 la. to tear.」とす(一七三頁)
- 日本書紀通證(谷川士清撰、寶暦元年脱稿、欽明紀二〇オ)「楚人謂㆑虎爲㆓於菟㆒見㆓左傳㆒、
於 發聲也、倭語亦猶㆓楚語㆒良 語助也」 - 和訓栞上篇(谷川士清撰)「人をとるの義也、一説に楚人虎を於菟といふ、於は發聲なれば、倭人も同音にいひしにや、らは多くそへていふ辭也といへり、或は高麗の語也ともいへり」(和訓栞は通證より後のものである。「人をとる」は日本釋名にも見える)
- 日本釋名(貝原篤信撰元祿十二年成、中の四九ウ)「とらはとらゆる也、人をとらゆる獸也」
- 箋注和名類聚抄〈七ノ五五ウ〉(狩谷望之撰〉「左傳云楚人謂㆓
虎 於菟㆒、方言、虎江淮南楚之間、或謂㆓之 於×㆒、王念孫曰、今江南山邊、呼㆑虎爲㆑×、則知於 ×之於發語、猶〈三〉謂㆑越爲㆓於越㆒也、然則和名止良 之止 即×、良 助語也」(×のところへは虎を篇とし兎を旁とする字が來る) - 言元梯〈三七ウ〉(大石千引撰文政十三年成るか)撰字の註に「
班 」と書いてある、マタラと云ふ語からトラと云ふ言葉が生れたと云ふ事である。撰斑より名が生れたとするのである。 - 東雅卷十八(新井白石撰享保四年完成)「撰トラ 義不詳。撰もとこれ此國の獸にあらず。貂をテンといひ、黒貂をフルキといひ又水豹をアザラシといひ、羊をヒツジといふが如き、並に海外の方言に依りしも知るべからず」
- 萬葉集品物解(鹿持雅澄撰)「…彼土(支那の事)にても、獸王とも、獸君とも、斑寅將軍とも云よしなり、按に
等良 は韓語 なるべし」 - 日本語原(井口丑二氏撰大正十五年六月撰)〈三八九頁〉「虎は朝鮮語ポーラムの轉にあらざるか」
- 南留別志(荻生徂徠撰)〈一九頁〉「虎をとらといふ。羊をひつじといふ。此國になき物なれば和名あるべきやうなし。とらは朝鮮語なりといふ。さもあるべし。ひつじも異國の詞なるにや。象をきさといふは、舟に刻みめをつけて、おもさを知りたるよりいふと云へるは、異國の古事なり。いぶかしき事なり。豹をなかつかみといふは、歌書にもいはずむつかしき詞なり。何ものゝ作りいでたる事ならん」
- 名言通(後に和訓六帖と改題せらる、服部宜著、天保六年撰、上四一オ)「或云朝鮮ニテノ名ナリ、按ズルニ朝鮮今トツピト云フ」
- 本朝辭原(宇田甘冥撰、明治四年成るか)「捕ヘノ略トラナリ、山中ニアリシヲトラヘ來ルユヘトラト云ナリ、又此獸ハ他ノ鳥獸ヲ捕ヘテ食モノナリ」
先づ如上の如くである。此の他、俚言集覽、僞書和訓精要鈔、僞書桑家漢語抄、倭語小解、松岡氏日本古語大辭典、大矢博士國語溯原、大島博士國語の語根とその分類、同博士の前著、國語の組編、林甕臣氏日本語原乃研究の如きも檢したがトラの語原説は見出せなかつた。又和語のしるべ(和句解?)、奉勅撰次和訓、和語私臆抄の如きは、手近かに無く、また調査を依頼する人も無いので檢する事は出來なかつた。