2007-09-01から1ヶ月間の記事一覧

虎の語原に關する私のおほけなき妄論は是れで盡きる。要するに「トラと云ふ日本語は、日本人が案出した純粹の日本語であるか何うかは判らない。假りに外來的なものとすると、古代朝鮮語と關係あるのではあるまいか。しかし虎を意味する朝鮮古語は不明である…

かくて私は「靈の朝鮮古語が、tar 又は tor であつた」と假定して、こゝに日本語のトラと、tar 又は tor と結びつけようとするのである。しかして其の理由は、既でに讀者も氣づかれたであらうが、虎が靈力ある畏{かしこ}き獸として恐れられて居た事を出發…

高麗史卷五十七地理誌(二五四頁。三國史記卷三十六、地理志三の四頁は高麗史に比し簡であり役にたたぬ)に、百濟{クダラ}の馬突縣――馬珍とも、馬等良とも書く――が新羅に屬して以來、新羅{シラギ}の景徳王(我が聖武・光謙・淳仁三朝に相當する時分の王…

現在の朝鮮語では、 神 sin(神の字音) kui-sin(鬼神の字音) thyön-sin(天神の字音、hはアスピレートを示す) 鬼 kui-sin(鬼神の字音) 魂 hün(字音である、母韻は第九母韻) 靈魂 hon-ryöng(魂靈の字音) 靈 sin-ryöng(神靈の字音) の如きは、皆字…

さて、右の如くに廣く檢して見ても、トラと似た形のものとては見あたらず、t の音を有するものゝ中、tiger と成るやうな類のものでは無くして、a・u・o の如き母韻を伴ふものを求めると、 滿洲語の tas-ha 系統のもの オロチョン語の duse 支那梵語の於菟・…

韓國の虎ちふ神 二 : 虎の崇拜と虎の語原

岡田希雄 『ドルメン』2(9); 5-1 (1933)

さてトラの語原説は以上の如くであるが、首肯するに足るものがあるとも思はれない。しかして注意すべきは外來語となす説であつて、其の外來語と見なす説の中でも、名言通や井口氏の説は採るに足らない。たゞ支那の楚地の方言於菟と結びつけるもののみはかな…

さて虎と云ふ動物は、日本國土には元來棲息して居なかつたのにも拘らず、トラと云ふ名を得たのである。外來名の借用であるか、外來物にわれ〳〵の祖先が、國語を以つて名づけたのであるかの何れかで無ければならぬ。しかして、外來物、もしくは日本國土には…

日本島に棲息して居たとは動物學的に信ぜられぬ大蛇・蟒蛇{ウハバミ}はヤマタノヲロチ傳説を始めとして、江戸期の文學では、立派に日本に棲息して居ると説かれ、又今でも大蛇が棲んで居ると信じて居るものは、夥しい事であらうが、虎に關しては其れが日本…

韓國の虎ちふ神 一 : 虎の崇拜と、虎の語原

岡田希雄 『ドルメン』2(8); 84-88 (1933)

假名遣問題について

岡田希雄 『國語・國文』8(10); 153-195 (1938) http://mpcp.hp.infoseek.co.jp/okada_kanazukai/ ついでに雑誌の目次も写しておく(この号は「現代日本語の問題特輯」となつてゐる)。 國語問題展望 春日政治 1 現代日本語における漢字の問題 安藤正次 26 敬…

一四

なほ最後に一言するに、私が Onanie と云ふ言葉を使用するのに對し、Onanie は Selbstbefleckung の義では無いと注意して呉れた人もあるが、成程、此の言葉の語原を聖書に就いて穿鑿すれば Selbstbefleckung の義には成らず、別の行爲と關係あるものであるの…

一三

寛濶平家物語に見える「手篇」の語については、「挊」字をおなにいの義に使ふから、其の隱語として、生れたもので、文字通りに手篇{てへん}である、挊字の篇の事を云ひて、其の字全體を匂はすのであると云ふ解釋を聞く事を得たから書き加へる。

一二

おなにいの事を支那で放手銃と云うた事は嬉遊笑覽附録〈近藤本七七四頁〉にも指摘して居る通りに、笑林廣記に見える。此の書は、短い笑話を古艶部 腐流部 術業部 形體部 閨風部などゝ云ふ風に、四卷十二部に分類したもので乾隆頃のものと云ふ〈嬉遊笑覽七五…

一一

長沼氏本三九頁の文は若道關係の青年の告白文であるが、其の頁の末の所にも Xicaru tòcoroni, màie no confession no nochi: tezzu carami mi vo momi atçu cŏte in,vo nãgàita cŏto xigueô gozatta. mata votòco to tagaini fãgi vo motaxete morà xi mora…

一〇

初期の吉利支丹文獻にCONFESIONと云ふのがある。書名は其の羅馬字綴りを飜字すれば「日本の言葉に善うコンフエシオンを申す容態{ヨウダイ}と、またコンフエソルより御穿鑿{ゴセンサク}召さるる爲めの肝要{カンヨウ}なる條々{デウ〳〵}の事{コト}談…

Onanie語史續攷 下

大藪訓世 『ドルメン』3(1), pp.66-68, (1934)

さて、日葡辭書に所見の「自淫」の語であるが、運歩色葉集、塵芥、永祿二年本節用集、慶長二年易林本節用集、十卷本伊呂波字類抄、釋日我いろは字盡、三卷本色葉字類抄、温故知新書、類聚名義抄などの古辭書には所見が無い。卑語なるが故に、載せなかつたと…

とにかく斯う云ふ次第で、日葡辭書にはセンズリとして記されて居るのだが、是れが撥音である事がら考へて、日葡辭書より八十年乃至六十年前の宗鑑の犬筑波(犬筑波の時代については、其の後、○○氏の岩波日本文學講座本江戸時代書目に「大永三年以後、天文八…

センズリと云ふ言葉は、三百三十年程前に出た吉利支丹{キリシタン}辭書にも見えて居るのであつた。しかして此の事は、もとより私の見出した事では無くして、○○○○翁――翁の御意志に從ひ殊更に翁と申すのである――より御教示を得て知つた事である。其の吉利支…

Onanie語史續攷 中

大藪訓世 『ドルメン』2(12), pp.39-43, (1933)

オナニイを意味する朝鮮語三種類を、七月號の本誌で述べたが、(但し、その五十頁第三段第四行目の「想像し」の下にohi‐kiと云ふ言葉が脱落して居るから訂正して置く)其の後同じ鄭在煥君よりまた教示を得たから記して見る。一つは江原道で行はれるものにて …

センズリと云ふ言葉は現在では、京阪を中心として、かなり廣範圍に亙りて、語頭音がヘと成つて居るやうであるが、其の京阪に於いて、セがヘと轉訛した時期を究める事も、語史的考察としては必要である。だが他に仕事のある私は、辭書類や軟派的文獻を檢して…

私の文を御覽に成つた某先生は「蝋燭屋を始めるといふ詞を御承知ですか、是は蝋燭を作る動作にたとへたのです」と云ふ御注意を賜つた。さて此の御教示により、ふと思ひついて、念の爲めに藤井博士の諺語大辭典を檢して見たところ、成る程此の隱語的云ひまは…

ドルメン六月號に見えた菅谷泰昌氏の文は面白く拜見したが、土工達が、彼れら相當の語原意識をはたらかせて「背摩{セス}り」説を説くのを知り、彼れらにも素人語原解釋のある事、しかも其れが堂々たる大辭書言泉の「千摩」説と徑庭無きを知り、特に面白く…

山中氏は右の狂歌以外に、も一つの狂歌を示された。其れは は日本一の富士の山 甲斐で見るより駿河一番 と云ふのである。第二句は「三國一の」とも云ふ由である。「甲斐で」「駿河」の語には、同音意義の他の語が含まれて居ることは云ふまでも無い。もつとも…

四囘に亙る私のOnanie語史攷に關して得た教示、其の他を記す事とする。 先づ、最初に擧げるのは「補攷」に引いた「棹を片手に河をあちこち」の唄の事であるが、私は是れを、何と云ふ理由も無しに、俗謠であると獨りぎめして居たところ實は然うでは無くて、狂…

Onanie語史續攷

大藪訓世 『ドルメン』2(11)、pp.42-46.

Onanie語史追攷

大藪訓世 『ドルメン』2(6)、pp.46-49. 私は「Onanie語史攷」に於いて犬筑波を引いたが、其れは、藤井乙男先生が曾て、古活字本で校合して置かれた御本により、引用させて頂いたのであるが、其の後神宮文庫の整版一册本(縱六寸八分五厘、横四寸八分。三十六…