八九 不欬不逆(二五)

○八九 不欬不逆(二五)  欬克代反、欶也、欶蘇豆反、欬逆氣也、倭云牟世〻受ムセセズ、不逆者牟可太末受ムカタマズ(末未字形不明)
代字を戊に誤るが、慧苑により改む。倭云は二度書いて居るが一方は衍だから除いた、慧苑は不欬のみを註し、大治本は不欬不逆を續けて居る、私記は兩方を少しづゝ採つて居る。さてムセセズは現在の口語で云へばムセバナイである。ムセルと云ふ語は今は四段のムセブと下一段のムセルとが行はれて居るが、其のムセルの原形たる下二段のムスの名詞形を佐行變格の否定形にしたのがムセセズである。但し、何もわざ〳〵佐變の否定形にする要もないのだから牟世〻受の世の一つは衍字であるかも知れない。ムスは和名抄に見える。萬葉集には涙ヲノゴヒ牟世比ツヽとあるが一方、「情咽都追涕之流コヽロムセツヽナミダシナガル」「情耳咽乍有爾コヽロノミムセツツアルニ」の如きはムスと訓む他はあるまい。次ぎにムカタミズは、斯く訓むと上一段活又は上二段活の未然形であるが、後述の如くタマフと云ふ四段動詞と信ぜられるものとの關係から想像すると、先づ一段活では無いらしい〈大體一段活の語は少く、其の上、乾ル・居ルの如きは元來二段活であつたのであるから、此の事も、ムカタミズを一段活と見るに及ばない傍證とも成らうか〉。二段活と見るのは、此のが二段活の未然形を示すにふさはしい乙類の假名だから丁度適當であるのだが、本書中ミの假名十一例は美禰を用ゐ、未はこゝ一つであるのがやゝいぶかしい事、しかもと誤る例は十七卷五七に末氣を未氣と誤つて居る例もある事、タマフとの關係を想定するとムカタムは四段である方が妥當と見られる事から、こゝもムカタマズの誤記では無いかと思ふ。そこで其のつもりで説いて行く。さて此の語他に用例が無いやうだ。他に用例が無いから、活用も不明で、語義も判らず、たゞ經文〈一二五オ下尾三に嚥咀之時、不欬不逆とあるから、ムセルと似た事を指すのは想像できるのみだが、正確な事は判らぬ。しかし、恐らく不逆の字より見れば、嘔吐を催し食物を吐く事であらう。嘔吐に關係した語としては、神代紀一書に「為㆑吐」〈嘉元四年の劍阿本にタグリスと訓む〉とあるを、記には多具利と書き〈タグルの名詞形がタグリである、タグルは嘔吐する事だが、記では吐逆物の義、近松天網島に、咳する事をタグルと云ひ、又大織冠に「兩眼に涙をたぐり」とあるのも、義が轉じたのである〉類聚符宣抄卷三所載天平九年六月の天然痘に關する官符は、嘔逆を多麻比と訓み、石山寺大智度論(第三種點)にも歐吐タマヒとあり和名抄は歐吐に倍止都久、又太万比と註し(其の倍止は皇極紀入鹿誅戮條の反吐の字音語で、竹取物語にも「青へどをつきて」と見える、國語辭典にはヘドとあるが、京都では、少くとも、私などはヘトと云ひヘドと濁りはせない。ツクも今昔卷廿八第二話に車に醉ひて「物突散シテ」大鏡爲光傳誠信條に「ものつき給へるにこそ」とある)犬ノタマヒの語もあり、小兒の乳をあますのはツタミと云ふ。箋注和名抄に據ると醫心方に嘔はムカツク、タマヒと訓じ〈ムカツクは二卷本世俗字類抄、三卷本色葉字類抄にも見える〉、嘔吐はモナハスル〈望之は物走之義とす、然らば逆行同化の例である、此の語類聚名義抄や字鏡集に吐の訓として見え、(色葉字類抄には見えず)建治元年の名語記にも見えるが、名語記に「人ノ心地損ジテ、物ツクヲハズトイヘリ」とあつて、スに濁點を施して居るのを見ると、走スと關係あるとは速斷できないと思ふ。しかしモノツクの例を見ると、モノハズが正形である事は判る〉と訓んで居る。タマヒは宮内省本皇極紀にタマヒツとあるが、ツは助動詞だからタマフと云ふ動詞の名詞形がタマヒである。宮内省本より點の古い岩崎家本はタマヒイタスと訓んで居るが、これもタマヒは連用形でイタスは出スであらう。斯くの如く、嘔吐に關する語は字音語のヘドも入れると古語が六種もあるが、ムカタムの語は今まで知られなかつたのである。ムカタムの語原は不明だが、小兒が乳を餘して吐く事をツタミと云ふのは〈和名抄〉ムカタムの語に比べ、又タマヒ・タマフの語に比べると、ツはにして〈イ列の音がウ列音に轉ずる事は東北辯を例に取らずとも明らかである、今のツバナ(茅花)はチバナが正しいのである〉ツタミは乳吐チタミの轉であらう、其のタミはタムの名詞形でタマフとの關係はヤム・ヤマフ(病)、スム・スマフ(住)、オス・オサフ(押)、トル・トラフ(捕)、ヤル・ヤラフ(遣)式の、所謂延言と原語との關係にあるものと見られる。しかしてムカタムのタムも亦、勿論ツタミのタミと同じものなる事は容易に考へられる。〈此の延言と云ふものは、萬葉や續紀宣命に珍しく無いが、舒言三轉例の例を見ても判る通り多くは、四段動詞に助動詞的フが添ふもので、四段以外には流ルがナガラフと成る例が一つあるのみである。此の事から逆に、延言の原形らしいものの活用を四段活であらうと指定するのも、大過あるまいと思ふ。そこで自分はタマフとの關係を認める立場から、ムカタミズから想像せられる一段活を否定し、さらに二段活をも否定せんとするのである。とにかく一段活の否定は出來ると思ふ。なほ古事記傳タグリの條や、箋注和名抄ツタミの條には、ツタミをチタマヒの約語として居るのだが、其はタミの語の存在を知らなかつたからであり、本書により、タムの語の存在が明確に成つた以上は、タムの名詞形と見るべきであり、タマヒの約語と見るには及ばぬ事である。さて以上はムカダミズをムカタマズの誤字と見た上での指定であるが、ムカタミズをまさしくムカタミズであると見る場合でも、たゞムカタムを四段活と見ずに二段活と見るだけの事であり、タムとタマフとの關係を認むる主觀的確信に於いては何ら變り無い事を云ひ添へて、特に大方の教示を願ふ次第である〉從つてタム、タマフにすでに吐逆スルの義があるので、ムカタムのムカは、性質上モノツク、モノハズのモノと同じく、語形と語義とはムカツクのムカと同じであらう。しかし語義は考へ得ない。今日のムカ〳〵スルと云ふ擬態語と關係あるのは勿倫だらうが、ムカ〳〵と云ふ擬態語がありてムカタム・ムカツクが出たやうにも見えない、ムカ〳〵は何と無く新しい語のやうに見える、ムカタム・ムカツクの語ありて、ムカが出たのではあるまいか。斯かる合成語に於けるムカは主語か、客語か、修飾語かの何れかである筈だが、未だ考へ得ない。とまれ天平九年官符や本書にタマヒ、タムと云ふ語が見えて居る事、そして古文獻には吐逆をハクと云ふ例の無い事〈類聚名義抄には見える〉から考へると、記の須佐之男命の惡行の條に「ナスハクソ醉而ヱヒテ吐散登許曾トコソ」とある吐散を宣長の如く、何の説明も無くて、手輕に簡單にハキチラスと訓むは妥當では無かるべく、〈ハクは嘔吐には限らぬ、口中のものをハクにも云ふ、ツバキ、吐哺にも云ふ〉タミチラス又はタマヒチラスと四段活の連用形に訓むべきであらうと思ふ。或いはタグリチラスでも可いかも知れぬ。