瑣言(二)

  • 丘衣
  • 藝文 12(12): 790-794 (1921)
  • 竹取物語に赫映姫が月に向つて物思ひをしてゐると、侍女などが「月のかほ見るはいむこと、」と言つて制した事が見えてゐる。そして小山儀の竹取物語抄には古今醫統と云ふ書を引いて、「小兒に月をゆびざゝしむる事なかれ。月を指ざせば兩耳の後に瘡を生す。月食瘡と名く。」とあるが、同じ事は竹取とほゞ同時代の小町集に「中たえたるをとこの忍びてきてかくれて見けるに、月のいとあはれなるをみてねんことこそいとくちをしけれとすのこにながむれば、をとこいむなるものをといへば、ひとりねの佗しきまゝに起ゐつゝ月を哀れといみぞかねつる。」と見え、大分後になるが源氏物語寄生の卷にも、中君が匂宮の無情を月にかこつてゐると老い女房が、「いまは入らせ給ひね。月見るはいみはべるものを云々」と言つてゐる。でこの迷信は平安朝の頃一般に信ぜられてゐたものであらう。源氏の抄物によると、白樂天の贈内詩に、「莫對月明思往事、損君顏色減君年」といふ句を引いてあつて、これからしてこの迷信は支那から傳はつたものゝやうに思はれてゐるが、又必しもさうとばかりもいへない。英語のlunatic moonstruck)といふ語、及佛伊西に行はれてゐる同じ語は、すべて拉丁のLuna即ち月の女神といふ語から出てゐる。して見ると西洋にも同樣の考があつたものと見える。月に對してセンチメンタルな感情になるのは、古今東西の人心皆軌を一にしてゐることだらうから、月に對する平安朝のこの迷信も或は古くから我國にあつたものかもしれないと思ふ。
  • 「雲に汁」といふ諺の「汁」が雨氣を含む意であることは、西鶴置土産卷四の「三、戀風は米のあがり、局に、さがりあり」の條(置土産を剽窃して江戸で出した風流門出加増藏には、標題を「雲にしる有米つぼね」としてある。)に、「雲に汁が出來て雨のふりしこる跡は風に見定め、てんぼに手をうち思入の米買ひ、」とあるので明かである。此の文もやはり文字通りの意味と金儲のあてがついて來たといふ意味と、兩方にかけて用ひてある。
  • 膝栗毛五の上(文久版)に、「イヤ、おめへも雨風{あめかぜ}胴亂だ。いゝかげんにしなせへし。」とあつて、その中の「雨風胴亂」といふ言葉の意味が分らない。ところが去年歸省中ふと或老人が此言葉を用ひてゐるのをきいて、早速質問に及ぶと、甘黨から黨どつちでも、兩刀遣ひといふことだつた。それで膝栗毛の原文の意も立派に通ずる。即ちこゝは彌次郎が饅頭をしこたまつめ込んで、更に「もつとやらうか。いくらでも入るやうだ。」と言つたのに對する北八の言葉である。なほその語源を按ずるに、「雨風胴亂」は恐らくは「甘辛{あまから}同斷」の轉訛で、甘い物もからい物即ち酒も同樣に好きといふ意味であらう。(有朋堂文庫本の頭注に此言葉を「いつも取留りのなきことを云ふ」と解してあるのは、何によつたのか、恐らく當推量の解であらう、「日本及日本人」に連載した膝栗毛の輪講中にも解があるかも知れぬと思つたが、一寸見ることが出來なかつた。)
  • 俚言集覽にのせてある「海道湯漬」といふ諺の意味は、諺合鏡五に「仲人は宵のほど、又繪そらごと、或は海道湯づけの口先のもてなしにあらすと知べし。」とあるから、口先ばかりで一時の胡魔化しをいふことゝ思はれる。それをほんの一時の空腹しのぎに食ふ海道湯漬に譬へたものであらう。
  • 「鎌倉海道」は、風俗文選鎌倉賦に「大きなるものは頼朝のかうべにたとへ、廣き所は鎌倉海道に比す。」とあり、又源氏大草紙四に「物事の廣き譬に言ひ傳ふ實に鎌倉の海道筋」とあつて、廣い譬の諺としてかなりポピユラーなものであつたらしい。一休咄に「口は鎌倉海道なれば貴きも行き、賤きも過ぐ。」とあり、堀川夜討四に「吸込む飛込む咽は鎌倉海道の名物なり」とあるのなどで、ほゞその用例は分る。
  • 「鼠の塩をひくやう」といふ譬も、俚言集覽にのせてあつて意味はよく分らないが、一休咄の序に「又參りてうけたまはりそろり〳〵と鼠の鹽なむるが如く聞き覺え、うつりては猫の爪とぐがごとくに書付け、」とあり、古今夷曲集三に、「對月明莫往事思{}といふ思の心をよめる、藤原氏成卿、眺むれば顏のゑくほぞ皺となる月の鼠がしほを引くかよ。」とあるのなどは、勿論この諺を用ひたものであらう。けれども矢つ張りその意味ははつきり分らない。
  • 雁木鑢{がんぎやすり}」といふ諺は、鑢を雁木形に使ふ意で、往復共に利する意と説明してあつて、「鋸商」といふのと同義のやうであるが、その用例について見るとどうもそれとは全く反對の意味らしい。「けしずみ」に、「すいが身を食ふとかやにて、てくだ男はわけよく知りたればもの日などをにぐる事ならぬものとやらんなれば、いとゞ何やらんにやすりをかくるなるべし。」とあり、浮世床初下に「おらが内へ來る金は三日月金とも稻妻金ともいふ。何でもちらりと見たばかり直に出て行く。そのくせ奢が強いときてゐるからがんぎだ。どうで金持になる氣はなし。うまいものを食て一生を終るが徳さ、」とあるのは、共にこの諺によつたものであつて、損の上にも損、貧乏の上にも貧乏の意などゝ聞える。且つ諺合鏡に「其損失ある輩は、がんぎやすり(鑼鎊)、よわり目の{りやう}、ぬす人に笈錢、一口ものに頬を灼き、物事左前になりて下り阪におもむく不仕合もあらん。」とあるから、損失、不仕合を重ねる意味の諺であることは愈々明かである
  • 「沖を漕ぐ」とか「沖を越える」といふ諺の意味は俚言集覽。諺語大辭典などに出てゐるが、之に對して「磯」といふ言葉がある。その用例をあげると好色貝合に、「家嘉{かゝ}その銀を取る手の早き事、巾着切が手元も也」新色五卷書二に、「是みよがしのやつし事、杉山勘左衞門はいそなり。」色里三所世帶に、「扨も此舟の早きを、普賢菩薩の飛ばせたまふる磯なり。」俗枕草紙三に「絖綸子の敷團重ねて天鵞絨の長ぐゝりに半夜の柔らかなる、是こそ難波の芦の穗枕、喜見城の晝寐も磯なるべし。」などとあつて、何れも「何々も及ばぬ。」といふ意味である。下手{へた}といふ語も{おき}に對した言葉であるし、この磯もまた「劣つてゐる」といふ意味に用ひられるやうになつたものと見える。
  • 「鬼に金棒」といふ諺の最も古く見ゆるものは何であるか知らないが、日蓮が文永九年五月二日、四條金吾へあてゝやつた消息文中に、「法華經の劒は信心の{けなげ}なる人こそ用ふる事なれ。鬼に{かな}棒たるべし。」とある。
  • 「石車に乘る」とは進退谷つて動きのとれぬ譬である。好色貝合に、「無理ゆきな事などをおとしにかけて、つまらぬ口説などさま〴〵すれども其女郎粹なれば中々手を切らせぬ仕掛け、きんともかんともいはれぬ石車にのらるゝ事もあり。」又新色五卷書五に「それ〳〵にあづけ屆けきびしく、石車の跡へもさきへもいでぬる身となるは、皆欲と色との迷ひにぞありけり。」とあるのなどで、その用例は分る。
  • 狂言の瓜盜人に、「これは如何なこと、うしにくらはれさても〳〵よい肝を潰いた。」といふ文句がある。「牛に食はれる」といふのは、「人に欺かれるだまされる。」の意ではあるが、その語源はまた寡聞にして知ることが出來ない。この言葉は普通の狂言記中には他に見當らないが、「和泉流狂言大成」本中の牛馬、鍋八撥には、「うしにくらはれた。所の目代殿でもあるかと思つてよい肝をつぶいた。」とあり、大藏流狂言の醋薑に、「牛に喰はれたらされた。目代役かと思うてよい肝を潰いた。」同流朝比奈に、「牛に喰はれたらされた。朝比奈と聞いたら責めまいものを。」などゝあつて、その頃は汎く用ひられたものと見える。