四
ところで此の語は何を意味するか。自分は今おなにい關係の語を説くに當り引用したのだが、此の語は、從來――と云つても徳川期よりの事であるが――諸學者により、或ひはおなにいの義であると説かれ、又Paderastie(Sodomie)の義であると説かれて居り、一定して居ないのである。今其れらの論者を擧げると、おなにいと見るものには(以下便宜上次第不同にて擧げる)
- 安齋隨筆 卷二一〈故實叢書本七一四頁〉
- 一話一言 卷三〈一三八頁〉
- 擁書漫筆 卷三の二十三條
- 松屋筆記 卷六十一の三四六頁
- 嬉遊笑覽附録七七四頁
- 校註日本文學大系本宇治拾遺(山崎麓氏擔當)
- 大言海
- 閑田次筆卷二の七一二頁
等があり、又ぺでらすていと見るものには
- 北邊隨筆卷四〈一〇九頁〉
- 和訓栞
- 日本文學全書本宇治拾遺頭註
- 山崎美成海録卷十二の三三七頁
等があり、何れとも決着をつけざるものには
があり、語を擧げ乍ら解釋せざるものには
- 俚言集覧〈但し此の條、増補の分か何うかは不明〉
- 雅言集覽
- 橘守部の俗語考一三四頁
等が存するのである。
しかして是れらの書は、單におなにいであり、べでらすていであると説くのみで、其の論據は示さぬのが多いが、論據を示して居るものとしては
「かはつるみ……これは男色の事なるべし。かはとは、
厠 といふ名をおもふに、屎 まる事をいふめれば、それよりうつして、尻の事に形容せるなるべし。つるむとは、今は禽獸などの交はるをいふに同じ。この本文、法師の話なれば、男色らしくおぼゆるなり。これを手淫のことゝいふ人もあれど、さにはあらじ。ある所にひめらるゝ男色の繪卷物にも、悉く法師の男色をかけるとや。」(北邊隨筆卷四)「かはつるみ……男色の事也といへり。かはやつるみの義成べし」(和訓栞)
「カハといふのは糞の事なり、糞取をカハカフ〈糞買の意なり〉と云ひ、糞をする器をオカハといふ、又牛祭の祭文にカハツルミとあるを、多く挊手の事なりといへど、男色のことにて、
糞道 ツルムといふ意なるべし」(山崎美成海録十二の三三七頁)「皮つるみ……獨淫の事」(閑田次筆二の七一二頁)
などが存するのみである。
さて此のカハツルミはおなにい、べでらすていの何れであらうか。牛祭々文の記事は名稱のみの所見であるから、何の事か、判斷出來る筈が無い。宇治拾遺の記事は牛祭々文に比べるとましであるが、是れとても具體的な説明は無いのであるから、判斷が至難である。だがしかし、やはり、おなにいと見る可きではあるまいか。
當時に於いては、ぺでらすていが、叢林のみならず一般社會にも行はれて居たが、叢林に於いて、是れが認容せられて居たと云ふのでは決して無く、
其のカハツルミの語義に就いては、此の語形を以て、、此の語の最初の形のまゝであり、何ら聲音變化の發生して居ないものと認めると云ふと、ツルミはツルム(交接するの義、動物に使用す)の名詞形であるから、カハに然る可き意味が存する可きだ。しかして國語としては、カハには川・皮・側の三義しか無いやうだ。ところで北邊隨筆はカハはカハヤ(厠)の義である、糞道を使用する男色なるが故に、カハツルミと云ふ語が生れたと解釋し、海録は、厠のカハも糞の義である、カハツルミは