六
オナニイを意味する朝鮮語三種類を、七月號の本誌で述べたが、(但し、その五十頁第三段第四行目の「想像し」の下にohi‐kiと云ふ言葉が脱落して居るから訂正して置く)其の後同じ鄭在煥君よりまた教示を得たから記して見る。一つは江原道で行はれるものにて
- o-hyöng-ohöi-no-rüm(註、yöは第四母韻、öは第三母韻、üは第九母韻)
と云ふのであり、其のo-hyöng-chöiは「五兄弟」の字音であり、no-rümは賭博の義もあるが、こゝでは「遊び」と云ふ朝鮮語である(遊ぶと云ふ動詞の語根norを名詞化するに當り、語根尾に子音があるから、mを添へる代りにümを添へたもの)から要するにo-hyöng-ohöi-no-rümは「五兄弟
も一つは鄭君の郷里なる慶尚南道南海地方の語で
- kai-pöik-kin-ta(鄭君は是れを
羅馬字化 してgai-bok-gin-daと云ふ既に全部濁音で標記して居る)
と云ふのであつて、これは動詞の終止形で「オナニイを
kai-pöik-chaing-i(鄭君の羅馬字化はgai-bek-zaingi)と成ると、「オナニイ常習者」の義であると云ふ。さて鄭君は説明を下して〈諺文はローマナイズする〉「kaiは犬の語しかありませんが、pöik-kin-taとは『皮ヲムク』とか『蔽ヲ剥グ』とか又は『着物ヲヌガセル』等の意があります。これらの語から成立つたkai-pöik-kin-taが、どうしてyong-tu-chir-han-ta(訓世云、「オナニイを爲る」と云ふ動詞の終止形。han-taは漢語を動詞にする時に添へるのだから、國語のサ行變格活用語尾にも比すべきものである、但しtaは終止の助動詞)の意になるかは又疑問であります。そこでkaiに適當な漢字を當てゝ見ますと、蓋が一番適中するやうです。然し、朝鮮語には、日本語の重箱的の言葉がないやうであるし、又蓋(フタ・オホヒ)等を決してkaiと云ひませんから、犬の語としか解せられません。又pöik Kin-taの語についても疑問がありますのは、その名詞なるべきpöikが私地方で(訓世云、慶尚南道南海地方の義)云ふ鷄姦の語ですが、同語を京城邊では pi-yökと云つて居るから、なほ更kai-pöik-kin-taの語がその語原が分らなくなります」と云つて居る。鄭君に語原の説明を望むは無理である。
附記。拙文が機縁と成つて、本誌十月號に宗錫夏氏の文が現はれたのは、私にとりては微苦笑の種である。が、流石に喜ばしい。後世の朝鮮語史學者により感謝せられる事が有らうと思ふ。本號の記事についても高批を仰たい。(十月五日校正に際して記す)