2007-09-03から1日間の記事一覧

オナニイを意味する朝鮮語三種類を、七月號の本誌で述べたが、(但し、その五十頁第三段第四行目の「想像し」の下にohi‐kiと云ふ言葉が脱落して居るから訂正して置く)其の後同じ鄭在煥君よりまた教示を得たから記して見る。一つは江原道で行はれるものにて …

センズリと云ふ言葉は現在では、京阪を中心として、かなり廣範圍に亙りて、語頭音がヘと成つて居るやうであるが、其の京阪に於いて、セがヘと轉訛した時期を究める事も、語史的考察としては必要である。だが他に仕事のある私は、辭書類や軟派的文獻を檢して…

私の文を御覽に成つた某先生は「蝋燭屋を始めるといふ詞を御承知ですか、是は蝋燭を作る動作にたとへたのです」と云ふ御注意を賜つた。さて此の御教示により、ふと思ひついて、念の爲めに藤井博士の諺語大辭典を檢して見たところ、成る程此の隱語的云ひまは…

ドルメン六月號に見えた菅谷泰昌氏の文は面白く拜見したが、土工達が、彼れら相當の語原意識をはたらかせて「背摩{セス}り」説を説くのを知り、彼れらにも素人語原解釋のある事、しかも其れが堂々たる大辭書言泉の「千摩」説と徑庭無きを知り、特に面白く…

山中氏は右の狂歌以外に、も一つの狂歌を示された。其れは は日本一の富士の山 甲斐で見るより駿河一番 と云ふのである。第二句は「三國一の」とも云ふ由である。「甲斐で」「駿河」の語には、同音意義の他の語が含まれて居ることは云ふまでも無い。もつとも…

四囘に亙る私のOnanie語史攷に關して得た教示、其の他を記す事とする。 先づ、最初に擧げるのは「補攷」に引いた「棹を片手に河をあちこち」の唄の事であるが、私は是れを、何と云ふ理由も無しに、俗謠であると獨りぎめして居たところ實は然うでは無くて、狂…

Onanie語史續攷

大藪訓世 『ドルメン』2(11)、pp.42-46.