さて、日葡辭書に所見の「自淫」の語であるが、運歩色葉集、塵芥、永祿二年本節用集、慶長二年易林本節用集、十卷本伊呂波字類抄、釋日我いろは字盡、三卷本色葉字類抄、温故知新書、類聚名義抄などの古辭書には所見が無い。卑語なるが故に、載せなかつたと云ふやうな事情もある事と思ふ。(未完)

附記。

小生は、十一月掲載の拙稿四十二頁第二段、第三段に於いて、栗山氏よりの高教を引用したが、其の時、「栗山氏は、書状によると、左翼運動關係の人にて」と書いたのは、小生の甚だしい誤解であつて栗山氏は然う云ふ人では無いのであつた。あれは「栗山氏が、左翼運動關係者より聞いたと云ふ知人の話」を通信せられたのを、小生の誤解より、栗山氏自身を左翼關係者云々と記したのであつて、筆者の大きな手落であり、何とも申譯の無き次第であり、深謝する次第である。それから、第一に栗山氏の御名前を、引用したのも――小生としては、言葉や歌の採取地と採取者とを明らかにする爲めに引用したものであり、學術的態度としては、當然の事と信ずるのであるが――小生が、栗山氏よりの來翰を、不注意に讀了し、氏が名前を引用する事を避けよと附言せられたのを看過したが爲めであつて、是れも甚だ相ひ濟まぬ次第であるとして、謹んでお詫びする事を申し添へて置く。栗山氏の來翰は、レターペーパーで無き普通の模造紙に墨汁で、表裏に書いてあつたのだが、小生は、表面のみを讀みて、裏面の文に氣づかず、十一月號の校正を濟ませ、諸氏よりの來翰を整理して居る時に、やうやく裏面の文に氣づいたのであつて、もう其の時には、十一月號の文を訂正する時間は無かつたのであつた。其の裏面に、名前を引用するのは避けられたしと附記してあつたのである。とにかく、筆者の不注意より栗山氏に御迷惑をかけたのに對して、御諒恕を乞ふ次第である。(十一月九日夜記す。)