一二

おなにいの事を支那で放手銃と云うた事は嬉遊笑覽附録近藤本七七四頁〉にも指摘して居る通りに、笑林廣記に見える。此の書は、短い笑話を古艶部 腐流部 術業部 形體部 閨風部などゝ云ふ風に、四卷十二部に分類したもので乾隆頃のものと云ふ〈嬉遊笑覽七五一頁〉徳川時代には我が邦でもよく行はれて、譯解笑林廣記と云ふやうなものも出て居る。さて此の書の卷四の譏刺部に「嘲姓倪」と云ふ題で出て居るものだが、其の文は同書謬誤部の「手氏」と云ふ文と共に餘りにひどいものであるから、引用は遠慮して置く。但し此の二文は、東都書房玉巖堂〈○和泉屋金右衞門〉發兌、文政己丑〈○十二年〉新鐫、一噱道人譯解の譯解笑林廣記(判紙本上下二卷二册又四册)には如才無く省略してある事を申し添へて置く。