虎の語原に關する私のおほけなき妄論は是れで盡きる。要するに「トラと云ふ日本語は、日本人が案出した純粹の日本語であるか何うかは判らない。假りに外來的なものとすると、古代朝鮮語と關係あるのではあるまいか。しかし虎を意味する朝鮮古語は不明である。虎を靈物視して居た古代朝鮮人が、虎を『靈』の語で呼んで居て、其れが我が邦に傳はつたのではあるまいか」と云ふのである。しかして此の論を試みるには、古代日本人と古代朝鮮人との民族的關係――兩民族は共に北方系で、ツングース系であらうとする學説もありて、兩民族の親密な關係が説かれて居る。其の事を意味するのである――にも少しは觸れなければならない筈だが、今は然う云ふ事は全く止める。
「靈」の朝鮮古語が、tor 又は tar であつたと見る私の論は、實に奇なものである、此の説が成立せないならば

  • トラ=靈(tar, tor)

と云ふ結論は無論崩れる。しかし語原説は崩れても「虎を祀る」と云ふ話だけは、本誌の祀事として、載せて頂いても大過は無いと思ふので、此の文を物した次第である。私としては「靈」の朝鮮古訓に關する「暴虎」の盲蛇式妄説につき叱正を乞ひたく思ふ。(昭和八年六月七日稿)

附記

拙稿八月號の分には誤植やら齟齬やらがあるから訂正する。先づ誤植としては

  • ○八五頁第三段第十行、第十三行、第十五行、第十六行の「撰」字は皆「虎」字の誤りである。
  • ○八六頁第二段第三行の「如上」は「以上」の誤植。第七行の組編は組織の誤り。
  • ○八七頁第二段第四行は「右二種は現在語、Pöm の母韻は第三母韻」の誤植。それから其の次行に Pŏm が脱して居る。第十一行「考虎」の音は lao-hu の誤り。第三段第五行の註文中の「瓦貓」は「爲貓」とある可きもの。
  • ○八八頁第同行の fonnd は found とある可きもの。第三段第三行の「全史名辭解」は金史名辭解の誤りである。

此の他に、發音符の誤りも少し存するが、印刷が面倒なる爲めに誤植せられたものであるから訂正せないで置く。諒恕せられたい。次ぎに大きな齟齬として私を唖然たらしめたものは、八月號八八頁第二段の「附記」の文が、八月號に出る可らざるものであり乍ら、過つて八月號に出てしまつた事である。此の附記は、此の拙稿の第二囘分、即ち十月號に出る豫定に成つて居る分――それは第一囘分と一緒に、六月十六日に編輯者の許へ送つてあるのである――の末に添へて頂くやうに云ひ添へて送附したのであるが、何うした事か知らぬが編輯者が誤解せられて、第一囘分の末に添へてしまはれたのであつて、其の爲めに、此の辯解文は何の意味やら判らなくなつてしまつて居るのである。例へば「豫じめお斷りして置いたやうに」とある文句が何の事であるか、讀者にはお判りにならないであらうが、其れは第二囘分の末尾に照應するものなのである。又「續稿として次號にでも載せて頂く」と書いたところの其の次號と云ふのは、第二囘分が載つて居る號の次號の事なのである。とにかく、「附記」の文が、何れは出る可きものであり乍らも、出る可らざる場所に、早まりすぎて、顏出しゝた爲めに、「附記」が附記らしからざる變なものとに成つてしまつて、私としては甚だ遺憾に思ふ次第であるし、又讀者に對しても申し譯の無い事である。以上の事をお斷りして置く(八月八日記)
○昨八月九日に前記の附記文を書いて送附したところ今日に成りて、第二囘分の校正刷が屆き、また同時に新村先生よりの御高教を頂いた。新村先生の御高教は H. C. von der Gabelentz の Mandschrisch-Deutsch Wörterbuch., 1812 に

tarfu
"Tiger"
targan
"junger Tiger"
tasḥa
"Tiger"

とあること、且つ其の tar と云ふは

tarbahi
"eine Art Biber"
tarbalfi
"eine Art Raubvogel"

の如き語の tar と關係ありて、これがトラと何ら關係を有するので無いかと云ふ事を御示教下さつたのであり、調査すべき書籍の事をも御示し下さつたのであるが、明日郵送すべき校正刷の附記の文としては、調査が間に合はないから、今は取りあへず右の御高教を賜つた事を申し述べて、調査はこれを他日に期する次第である。なほ此の第二囘分拙稿に關しては、次ぎの二條を補うて置く。即ち狼をカミと云ふ事は、古典全集本採輯諸國風土記所收大和風土記逸文に、明日香アスカの地に老狼あり、土民是れを大口神と云うたと見えるのである。また龍蛇神をオカミと云ふ事は、萬葉集仙覺抄所引常陸風土記逸文に「新治ニヒバリ郡驛家、名曰㆓大神㆒、所㆓以然稱㆒者、大蛇多在、因名㆓驛家㆒」とあるから、蛇をオホカミ・オカミと云うた事は想像できるやうである。
○最後に、トラを耽羅と云ふ地名に結びつける新村先生の高説は、誤つて早く出過ぎた前號の附記の文に述べたやうに、次號にでも述べさせて頂く所存にして、既でに書き上げてある事を申し添へて置く。(八月十日夕、記す)