私は虎の語原について、あさはかな、たわいもない妄説を、おほけなくも物して、本誌に呈出し、第一囘の校正刷を見たのであるが、其の直ぐ後から、自説を取り消すのがよいと考へるやうに成つた。其れは新村博士の御説を伺ひ、自分の妄説の取るに足らぬ事を、認識したからである。
私は七月六日、新村先生に御目にかゝり、私が虎の語原について一文を草した事を申し上げたところ、先生も此の前の虎年、即ち大正十五年(昭和元年)の年頭に、某新聞へ出すために、虎の語原についてお書きに成つたのだが、都合あつて未掲載に終り、其の後は、單行本にも收載なさらなかつた由にて、其の御説は「虎は日本の産で無いから、外國に關係したものであらう。外國から渡來した鳥獸物品に、其の地の名を與へる例は、カナリヤ島のカナリヤの如くに存する。若しかすると、耽羅の國より來た獸であるからと云ふので、トラと云ふ名を與へたのであるまいか」と云ふのであつたが私は單にこれだけ承つただけで、御説に敬服すると同時に、直ぐに愚案の取るに足らざるを知り、實に冷汗を感じ、あゝ云ふ愚文を載せて頂く事を濟まなく思つたので、お詫びとして、先生の高説を紹介・敷衍・祖述させて頂く事とする。