2007-10-01から1日間の記事一覧

さて以上は新村先生の高段を忖度的に敷衍し、且つ微弱な疑ひを述べたものである。要するにかいつまんで云へば「トラは朝鮮濟州島の古名なる耽羅(度羅・吐羅・屯羅)に因む名であらう。但しこれを認めるとなると、トラと云ふ名の發生をかなり新しい事と認め…

だがたゞ一つ私の訝しく思ふのは、耽羅が我が國に通じたのは、比較的新しく、齊明七年である事である。耽羅の事が百濟を通じて日本人の智識に入つたのは、繼體朝ごろ、或ひは其れより古い時代まで溯り得ようが、其の耽羅が我が國に通じたのは、齊明七年の事…

さて耽羅と云ふ國は、然う云ふ國であつたのである。然らば此の國から生きた虎、又は虎の皮を獻上し、其れとともに、トラの國から來た動物と云ふ意味で、其の虎をもトラと呼ぶに至つたかも知れないと云ふ事は カナリヤ島のカナリヤ カンボヂヤのカボチヤ(南…

さて此の耽羅は、海中にありて半島より隔離して居るのだから、もとは獨立して居たらしいが、百濟{クダラ}の文周王二年(我が雄略天皇二十年に當る)には百濟の屬領の如くに成り、其の後百濟が衰へると、耽羅國主は、新羅文武王元年(わが齊明天皇七年、即…

さて耽羅と云ふのは、朝鮮半島南部の大島濟州島の事であり、我が國とは、一時かなりの交渉があつて、文獻には屡々見えて居るのである。即ち日本書紀について云へば左の如くである。 繼體紀二年十二月。南海中耽羅人初通㆓百濟國㆒(○希云、半島側の記録では…

私は虎の語原について、あさはかな、たわいもない妄説を、おほけなくも物して、本誌に呈出し、第一囘の校正刷を見たのであるが、其の直ぐ後から、自説を取り消すのがよいと考へるやうに成つた。其れは新村博士の御説を伺ひ、自分の妄説の取るに足らぬ事を、…

虎の語原と耽羅國

岡田希雄 『ドルメン』2(10); 18-23 (1933)