さて以上は新村先生の高段を忖度的に敷衍し、且つ微弱な疑ひを述べたものである。要するにかいつまんで云へば「トラは朝鮮濟州島の古名なる耽羅(度羅・吐羅・屯羅)に因む名であらう。但しこれを認めるとなると、トラと云ふ名の發生をかなり新しい事と認めなければならないのでは無いかと云ふ疑ひがあるやうだ」と云ふのである。因みに、さきに引用した天武紀二年潤六月條所見の耽羅國三王子の名、久麻藝(また久麻伎)都羅・宇麻と云ふのは、其の用字を眞假字式標記と見る事が出來て、クマキ・トラ・ウマと云ふ風に讀み得ること(藝は記紀ではギであり、都は紀ではツト兩用である)から、又、奈良朝人の名に動物に因んだものゝ多い事から、耽羅國人名のクマキ・ウマも熊・馬と何らかの關係があるのでは無いかとも考へられ、從うて、都羅(ツラ・トラ)は虎と關係があるのでは無いかとも、索強附會的に考へられ、其れに因んでは、耽羅國の言葉と日本語との關係の臆測と云ふ事も勢ひ導き出されて來るのではあるが、其れらの事を論定するのは、全く不可能である事を申し添へて置く。(昭和八年七月十三日稿)

欽明記六年所見の虎を刺殺した膳臣(カシハデノオミ)の名は、私は小學校時代から巴提使(ハデス)と云ふ風に聞かされて居るが、日本紀竟宴歌・釋日本紀・通釋などによると、巴提便と書いてハスヒ(清濁は不明)と訓むらしい。但し秘籍大觀の宮内省本欽明記は未檢である(九月六日記)