九 皆砌(一)

○九 皆砌(一)  上古諧反、道也、上進也、陛也、下千計反、限也、倭云石太〻美イシダヽミ
皆は階の誤、こゝは大治本「上古諧反、進也、上進也、説文陛也、下且計反、砌限也云〻、倭言石太〻美」〈倭を人篇に妾を書いた字に誤る〉とあるに據つたのだ、但し千計反と云ふ反切だけは慧苑に見えるから、それに從うたらしい。石太〻美は無論イシダヽミと訓むのであらう、六卷にも階砌の所が重出し、其の註は、こゝと殆んど同じだが、倭云石牒とある。石牒では牒字が今ではタヽミの意味に使はれる事が無いから、倭訓を示すには妥當で無いが、これもイシダヽミと訓む可きだ〈牒は疊布也とある〉さて石の假名書も萬葉にあり、タヽミの語は多〻美許母〈紀にもあり〉多多彌萬葉などありて珍しく無いが、イシダヽミの語は、假名書にも眞字書にも見えず、(金剛般若集驗記〈一ノ六〉に砌をミキリイシと訓んで居り承和十四年頃のものかと云はるる日本感靈録に砌を倭言加豆良移徙と訓んで居る。ミギリイシ、カヅライシは石ダヽミと同じとは云へなからう)新撰字鏡や和名抄にも見えず、松井博士國語辭典は宇津保物語の用例を引いて居るのだが、延暦二十三年の皇太神宮儀式帳石疊とあるのもイシダタミであらう。因みに萬葉集「磐疊カシコき山と知りつゝも」とある磐疊をイハダタミと訓んで居るが、これと石太〻美とは別である。さてイシダタミの美字は甲類の假名であり正しい。但し本書ではミの假名には甲類の美彌以外は使用して居ないのである。