二二 無暫巳(七)

○二二 無暫巳(七)  〻止也。暫又爲×(斬の下に足を書く)字、之麻良シマラ
慧音にも無暫巳はあるが、註は少し違ふ、巳は已と書く可きであるのは云ふ迄も無い。シマラは今のシバラクであるが、此の類の語の假名書を檢するに、萬葉集

  • 之麻志〈一八〉 之麻思〈十五〉 之末時〈一九〉
  • 之末思久〈一五〉 之麻之久〈一九〉 之麻思久〈一五〉 思末志久〈一五〉
  • 思麻良久〈一四〉

の如く三種八例があるのみだが、シマラと云ふ形は見えぬ。シマラに最も近いシマラクは、シマラにクが添うたのであり、ココダがココダク、ココバがココバクと成り、又コキバク、ソコラクが生じる場合と同じであるらしい。しかも其のシマラのラも元を原ぬれば亦接尾辭であるのでは無いか(記應神段吉野の國主クズの歌字麻良ニキコシモチヲセ萬葉集モノカナシラニサカシラなどある。ココダ・ココラ、イクラ、ソコラのダ・ラも同じ性質で無からうか、石山寺大智度論少則之万乃□□乃りと訓んで居る)。斯く假定すると、一方がシマシ〈下のシはエニシ式の接尾辭であるか、又は不完全な形容詞化の名殘であるかは判らぬ〉と成り、其れが單なる接尾辭クを取つたか、又は形容詞化してシマシクと成つたのでは無いかとの疑問も生じる。しかし推定すら困難である。さてシマラは、黒板本金剛般若集驗記一の二九ウシマラシマラノアヒ二の二ウシマラク石山寺本同書シマラノアヒダ有テなどとある。さて此の一類の語は後にマが重唇濁音のバと成るのだが、其の變化した時期は平安朝初期よりは後にて、古今集頃には完全にシバシ・シバラクと成つて居たらう。であるから、紀などの古訓に暫をシバシシバラクなどと訓んで居り、萬葉集の假名書で無いものを然う讀むのは宜して無い。因みに萬葉集四卷〈七三二〉「今時有四名之惜雲ナノヲシケクモ吾者無ワレハナシ妹丹因者イモニヨリテバ千遍立十方チヘニタツトモと云ふのがあり、初句の有字が者字と成つて居る本が多いので、今時者四シマシバシと讀み、今暫の義とし、暫をシバシと云つて居る例と成り得さうだが、代匠記略解は二つのシを強意の辭と見て居り、新考でも五九〇號今師波登と同じだと見て居る。無論これ等の解が正しくて、今ハ・今デハの義であり、今暫シで無い事は確かだ古今集戀五「今しはとわびにし物をさゝがにの衣にかゝりわれを頼むる」と云ふのがあり、松井博士の國語辭典は此の「しは」を「しば」と訓み暫の義として居るが、これは正しく無い。シは強意の辭で今ハトの辰で無ければならぬ)此のシマシ・シマラ・シマシク・シマラクがシバ某と變化したが爲めに混同せられるものに、シバ〳〵の義のシバがあり、萬葉集には之婆之婆之波奈吉〈數鳴〉之婆奈久の例があるが、是等は必ずシバとありシマとは無く、區別がはつきりして居る。語原の事までは判らぬが、意義も、音も、用法も全然異るから混同してはならぬ。とにかく平安朝初期頃までゞは、暫字の訓はシマシ・シマシク・シマラ・シマラク・であり、シバはシバであり、嚴然たる區別のあつた事を認めなければならぬ。