二四 階陛(八)
- ○二四 階陛(八) 倭云
之那 、上音訓道也、説文陛也、砌且計反、限也、倭云石牒 、下邊亞 反 - 此の註、慧苑には無い。華藏世界品の第四偈に
「階陛莊嚴具㆓衆寶㆒」
とある句の階陛〈三九ウ下二〉の註であらうが、此の八十經第一卷の皆砌
(九)の註、及び第六卷の階砌
(一八)の註とを比較すると、亂雜であり、誤もあるらしい。先づ「上音」
とある以上、其の音が古諧反とでもある可きだのに落ちて居る。しかして、砌字はこゝには無關係であるのに、出て居るからいぶかしい。さて之那
は階陛二字の和訓であり、道也、陛也
は上、即ち階字の義であらう。こゝのシナは階段、段 はしの事であるが、シナと云ふ語は山階寺、信濃國のシナ、其の信濃や上野の山國に多い更科、明科 、蓼科 、男信 などのシナ、人品や階級を云ふシナ等と同じ語である。推古記二十一年の聖徳太子の御歌に見える斯那提流
と云ふ枕詞は、萬葉で級照
と書かれて居る。さて石牒は前の一八と同じくイシダヽミと訓む。邊亞反
は陛字の和音を示すのでヘエであらう。亞字は内轉二十九開、影母去聲二等字にてアの音であるが、琴歌譜にはエ列の長音を示すのに用ゐられ居り、此の私記でも、こゝに陛の音を示すに邊亞反とあり、他にも五七、一二八に翳の音を亞と書いて居る。これらより見れば亞はエの音を示すと見る可きだ。二十九轉の音はすべてア韻であるが、馬、覇、牙、雅、下、の如きは呉音としてエ韻にも訓むのだから、亞も亦其れに準じて古くエに訓んだのだらう。記の宇陀の高城の歌の疊々志夜胡志夜
はこれではエエシヤコシヤとは訓めないが、宣長は疊々を盈々の誤寫としてエエシヤと訓んだのであるが、眞福寺本の書入や、延佳本、田中頼庸本は亞々志夜
に作り居るのであつて、これならば正しくエエシヤと訓む可きである。