三九 翹棘(一四)
- ○三九 翹棘(一四) 尅翹音交、訓
久波多川 、棘音黒、訓宇末良 - 翹棘の二字を續けて擧げて居るのは妥當で無い、經文〈七〇オ上一一〉には
或現㆓蹲踞㆒或翹足、或臥㆓草棘及灰上㆒
とありて、二字は無關係である。註首に尅字が存するのは、其の理由が判らぬが、此の一字も類聚名義抄でクハダツと訓んで居るのを見ると「翹ハ尅ナリ、音ハ交」の義で添へたのが顛倒したのであるかも知れぬ。さてクハダタと云ふ語は新撰字鏡には見えない、名義抄は跂・竚・趐・翹の如き字を訓み、無論企字をも訓んで居る、企は人と足(止)との會意で、同時に止は音符で形聲字であり、人が踵を上げ爪先で立ち望むを云ふ由である。なほ尅空をもクハダツと訓んで居る、尅は剋と同じだが、空と共に何故クハダツと訓むかは知らない。がとまれ企字の字義が足に關係ありとすると、クハダツもツマダツと云ふ類の構成を有するものではあるまいか。此の場合クハがツマダツのツメと同じく足に關する名前であると都合よいのだが、然う云ふ事は判らないのである。たゞ、本來はツマダツと同じ構成の語が、やがて計畫すると云ふ樣な意味に點じた事が想像せられる。因みに云ふが京都近くの村の農夫は足ノクハとかクハビラとか云ふ語を使ふ、クハは足首から先を云ひ、クハビラは足の甲の事である。だが此の語は、農夫自らが解釋して居る樣に、鍬平の義であり、淨瑠璃などに見えるクハビラ
、太秦廣隆寺牛祭々文の久波比良足
、新猿楽記〈十三娘の條〉の足如㆓
と同じ語であり、クハダツのクハとは無關係であるらしい。鍬枚 ㆒ - 次ぎのウマラは萬葉集二〇〈四三五二〉に
「道のべの宇萬良の
がある。(本書九一にもウマラの語が見える。)ウマラはやがてウバラに轉じ、又ムバラと成り、さらにウバラよりイバラの語が生じ、イバラよりバラが生れて今日に至つて居る。其の初期の變遷を見るに〈石山寺藏大智度論元慶元年點、末 に波保 豆のからまる君を波可禮か行かむ」迸木(逆木か)ウハラ
。西大寺藏金光明最勝王經白點、荊ウバラ
〉- 新撰字鏡
- 宇波良、宇万良久豆良〈良は和の誤〉
- 本草和名
- 宇波良乃美、於保宇波良
- 和名抄
- 於保宇波良、宇波良具都和、夜末宇波良、無波良乃美、牟波良岐(茨城)
- 京大本蘇悉地羯羅經上卷
- 丁八ヿ(于八良)〈白粉點、延喜九年八月の空惠點か〉
- ムハラ 〈朱筆承暦三年九月一日の公暹筆か〉
此の後名義抄や字鏡集はムバラ・ウバラ兩用で、ムバラの方が優勢である。イバラは長享本和玉篇に見え節用集にも見える。此のイバラのイが脱落してバラと成つたのは、徳川期も末の事か。國語辭典は一茶句集の
「茨の花ここを跨げと咲きにけり」
を引いて居る。現在では改良せられた花バラをバラと云ひ、野生風なのをイバラと云ふかの如くである。當地の老人は、前者をイバラシヨンベなどと云つて居る。イバラ薔薇 の義である。