六七 髓腦(二一)
- ○六七 髓腦(二一) 上
須年 、下奈豆技 - 慧苑に無し。髓は骨髓の事である。今スネと云ふと足の脛の事であるが、古くは脛はハギと云つた。和名抄に髓は
須禰
、脛は波岐
、腦は奈都岐
とある。奈豆岐は腦髓即ち今の腦味噌にあたるから、新撰字鏡は髓字を骨中脂也、保禰乃奈豆岐
と訓み〈三ノ一五オ四〉骸字〈三ノ一五オ五〉を須禰汁
と訓み、腦字〈一ノ一三ウ一〉はむろん奈豆支
と訓んで居る。スネの語は紀の長髓彦
を記に登美能那賀須泥毗古
と書いて居る例がある。ナガスネは紀の誅殺の條に長髓是邑之本號焉
とあり、地名に此の二字を假借したのである。石山寺藏大般若經音義中卷は奈良朝末か王朝初期のものと云はれるが、やはり「骨髓 下宣累反、骨中脂也、倭言須尼」
と註して居る。ナヅキの語は古い所見が無いので、キの假名の當否も判らぬ。因みにハギの語は、釋日本紀十所引越後風土記所見の八掬脛
、孝徳紀の高田首根麻呂更名八掬脛
、姓氏録竹田連祖八束脛命
らの名と同じ語を、常陸風土記は國巣の名として、俗語曰都知久母、又曰、夜都賀波岐
と訓じて居るのである。〈石山寺藏大智度論第一種點に腦ナツキ
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