六九 惜悋(二一)
- ○六九 惜悋(二一) 上
乎之牟 、下夜比左之 - 慧苑に無し。悋字、旁をメの下に厷を書いた字に作つて居るが、俗字だから改めて引いた。安閑紀元年五月條に、此の熟字を逆にしたものを
ヲシミテ
と訓んで居る。ヲシムは萬葉集に今日ダニモコトドヒセムト乎之美ツヽ
、別レヲ乎之美歎キケム妻
などゝある。ヤヒサシの清濁は不明である。さてヤヒサシの語はヤフサシと成り、又一方ヤフサカルの語も生じ、現存のヤブサカの語も生れる。西大寺藏金光明最勝王經白點〈平安朝初期天安二年以前〉にはヤブサシ
やヤブサカル
があり〈春日博士による〉、新撰字鏡には女篇に翏を書いた字を也不佐志
と讀んで居り、承暦三年の金光明最勝王經音義に恡也不佐之
、名義抄にもヤブサシ
及び動詞ヤフサガル
が見えるが〈此の發音、國語辭典はヤブサカルとして居るが、名義抄法中七四頁の二例は聲點がヤフサガル
と成つて居る〉世尊寺字鏡にはヤフサカル
〈四三ウ三〉ヤウサシ
〈上四一オ六(二)四三ウ三、四五オ一〉の語が見える。ヤブサシに比してヤウサシは轉訛した形と察せられるやうだ。又世尊寺字鏡には立心篇に旁を又各を合せた形にした宇に、音義も施さないで〈四七ウ一〉ヤヽヒサシ
と和訓を施し、名義抄〈法中七四〉字鏡集何れも同じであるが、此の字は恡と同じ字と信ぜられるから、ヤヽヒサシはヤヒサシの誤記で無からうか。ヤヒサシでは理解できないのでヤヽヒサシの義であらうと、さかしらに意改したものと思ふ。要するに形容詞としてはヤヒサシ・ヤフサシ・ヤウサシと轉訛したものだらう。ヤウサカル
は字鏡集に見える。さてヤヒサシのヒの假名の當否は判斷しかねる。