一二六 階墀軒檻(六〇)

○一二六 階墀軒檻(六〇)  墀除尼反、階謂㆓登㆑堂之道㆒也、墀謂以㆑丹塗㆑地、即天子丹墀也、又云塗地也、倭言爾波彌知ニハミチ、檻蘭也
慧苑にもあり、階墀の註は「墀、直尼反、玉篇曰、階謂登堂之道也、説文曰、墀謂以㆑丹塗㆑地、即天子丹墀也」とあるが、私記はこれに據つて居るのだらう。しかし大治本に「下除飢反、塗地也、倭言爾波彌知」〈但し知字不明だが、登堂之道也と云ふ意義により、知である事が判り其の目で見ると、成程明に知字である〉とあるのを見ると、私記に又云塗地也と云ふのと倭訓とは、大治本に據つたものらしい。尤も倭言は私記、爾波彌都に作つて居るが今意改したのであり、以㆑丹の丹字も私記は「其」字に誤つて居るから慧苑により意改したのである。要するに墀は、登堂の道で丹を以て塗つてあるものを云ふ。故にニハミチは庭道の義であらう。ニハは雄略紀のはじめに儞播とあり、ミチは萬葉集にあり、ミの假名一致するが、ニミハチと云ふ語は新撰字鏡、和名抄に無く字鏡集〈三〇〇頁〉に墀字をニハノミチと訓んで居る。名義抄〈法中五二〉はニハ、アカキツチなどと訓んで居る。因みに此のニハミチを私記がニハミ都に作つて居るのは、大治本により誤と斷定するが、ミチノオク(陸奧・道の奧)のミチがムツと成つて居る例から見ると、ミチをミツと云つた事が無かつたとも斷言できないやうでもある。イウの音通は珍しく無い。さて最後の蘭也は檻の音を示すので無く、直ぐ次ぎに欄正爲㆓蘭字㆒とあるやうに義を示すのである。