名語記の國語學的考察の一つとして、語原解釋に關して述べるに當り、頁數の都合で前稿で記さなかつた事を記したい。其は本書の引用書の事である。
一體某書が引用して居る引用書と云ふものは、場合によつては其の某書の著者の學問の性質を知る尺度とも成り、又引用せられて居る書物の本文研究や佚文研究にも役立つ事もあり、又引いて居る書や引かれて居る書物の年代推定に役立つ事もあるから、某と云ふ書の引用書を査べる事はかなりに意味ある事なのである。ところで、名語記に於いては何うかと云ふに、著者は自らに關した事を殆んど書かなかつたと同樣に、書物を引くと云ふ點に於いても亦、極めて稀であり、殆んど書物を引く事は無いのである。是れは、本書で解釋せられて居る語彙が、大體は古語で無く、當時の普通の語であつたゝめ、書物を引く必要の餘りに無かつた事や、本書が、獨斷的に勇猛果敢に、語原解釋そのものゝみをして居れば可いのであり、他人の意見を考慮する必要も無く、語史などゝ云ふ事も全く考へなかつた事によるものであらう。とにかく引用書と名づく可きものは至つて乏しいのである。即ち内典では、仁王經〈七帖ホトケ、九帖サスナヘ〉法華經〈七帖ホトケ、ハチス兩條〉の名が見え、外典としては「本草〈九帖ギシ〳〵の條〉の名が見えるのみにて、國典としては伊勢物語が三度〈七帖カイマ、同ヨヒトサダメヨ、九帖クタカケ〉古今集が一度〈九帖サキクサ〉和銅〈ノ〉記」が一度、萬葉集が十八度見えるに過ぎないが〈見落しもあるだらう〉斯くの如くに引用が乏しいにも拘らず、特に萬葉集のみが十八度も引かれ、しかも萬葉集が引かれる場合には、

  • ○二帖、トのトモの條に「萬葉ニハ雖トカケル歟」
  • ○同、ヲの條「萬葉ニ緒ヲツカヘリ、音ヲトレルバカリ歟」
  • ○同、ミキ、キヽキ、アリキ、ナカリキなどのキの條「萬葉ニ寸ノ字ヲキ〈ニ〉ヲケレ〈ドモ〉イマダソノ心ヲエズ」
  • ○同、ミユ、キユユ、オボユのユの條「萬葉ニハ、ミユハ所見トカキ、キコユ〈ハ〉所聞トカキ、オボユハ所思トカケリ」
  • ○三帖、ヌサノ條「萬葉ナドニハ幣〈ヲ〉ヌサトツカヘリトキコユ」
  • ○オモフドチ〈ナド〉イヘルドチ如何、コレ〈ハ〉トモダチ反リテドチ〈ト〉イハル、友達也、但萬葉ニ念共トカキテトチトヨマセタリトキコユ、心ハヒトツスチ歟〈三帖〉
  • ○キカバヤナドネガヘルヨシ〈ノ〉バヤ如何……萬葉ニハ將見トカケル歟〈三帖〉
  • ○萬葉ノ詞ニ十八〈ト〉カキ〈テ〉ニク〈ト〉トツカヘリ如何……〈三帖〉
  • ○ニコヤカ、ニコ〳〵ナドイヘルニコ〈ノ〉義如何、答ニコ〈ハ〉ナビカホ〈ノ〉反、ネリケヨ〈ノ〉反、萬葉〈ニハ〉似兒トカケリ……〈三帖〉

と云ふ風に、いつも其の用字が問題とせられて居るのであり、他書が引かれるのとは事情が異るのは注意すべきである。著者は自ら歌道の人で無い事を述べて居るけれど、斯う云ふ萬葉集の引用具合から察すると、萬葉集は見て居たと信ぜられる。たゞ見て居たと云ふだけで無く、用字に注意を拂ふ程度の人であつた事が考へられる。丁度此の頃は、東國鎌倉には仙覺が居て、名語記六帖本が完成した文永六年には、仙覺の萬葉集註釋の清書が完成して居るのであるから興味が深い。名語記の著者經尊も、かくれたる萬葉集研究者、若しくは愛好者の一人であつたのでは無いかと想像せられる。
名語記の引いて居る「和銅〈ノ〉記」と云ふのは、第三帖トサの條に「次國ノ名〈ノ〉トサ如何,土左〈ト〉カケリ、ソノ子細、和銅〈ノ〉〈ニ〉アルベシ」と見えて居るものであり、和銅年間の記録と云ふ意味にして、書名ではあるまいと考へられるから、古事記の事を云つて居るのかと察せられる。風土記の事を云ふのでは無いらしい(尤も古事記には土佐を建依別と云うた事は見えるが、「子細」は見えない。もし「子細」を重視すると、他の風土記例から考へて、土佐風土記であつたと見なければならなくなる)。和銅〈ノ〉記の性質は判らぬが、とにかく一寸注意が引かれる。