以上で自分は「玉篇の研究」に就き單に紹介――批判では無い――したので必るが、其れに因み、非禮ではあるが、斯くあらまほしかりきと感ずる事に就いてなほ一言したい。そは、要するに博士の記述は老婆心に缺けて居る傾きがあると云ふ事である。これは本書が學位論文として第一流の學者の審査を請はれる爲めのものであり、決して學識乏しきものに見せられる爲めの啓蒙的なもので無いのたから、老婆心を必要とせないのも當然ではあるが、一旦公刊せられる以上は、學識乏しきものも讀む機會がある事を豫想して婆心を十分に働かして戴きかつたと思ふのである。之を具體的に云へば引用書の卷丁の如きも出來るだけ施して頂きかつた。事項索引の如きは、もつと〳〵精細であつて欲しい事である。又佚文を集成せられる都合には、部首による配列をせられた以上は更らに引用書別の索引〈單に數字を擧げれば足りる事である〉が是非欲しいと思ふ。更らに、玉篇の地位を讀者に認識せしめる爲めには、支那撰述の部首分類式辭書の殘存せるもの〈例へば説文、六書故、類篇、龍龕手鑑、五侯鯖字海、字彙、正字通、康煕字典の如きもの〉全部につきて略述し、部首の種類や配列の如何を表にして示して戴きたくあつた。又現存せぬものについては(経籍志類や小學考の粗笨なる解説ぐらゐでは、果して部首分類式であるのやら然うで無いのやらが、われ〳〵支那辭書史の智識に乏しいものには判斷しかねるのが多いから)博士の洽浹なる博識により檢出して擧示して頂きたくあつた〈これらは要するに支那辭書史上に於ける玉篇、會玉篇の地位を出來るだけ判りやすく表示するためにである〉又、日本で制作せられたものも、本書に見えて居るものだけは、やはり其の表に入れてほしかつたのである。是れらの事は一見つまらない仕事のやうに見えるが、實際は甚だ有意義な事であると思ふ。更らに又、支那や日本に於ける玉篇の研究史流布史と云ふやうなものも、第一篇第一章や佚文篇と重複するとは云へ、載せて頂きたくあつた。是れらは無論識者に取りては無用の物であるが、無識な者に取りては、甚だ有難いものにて其れらの記事のあるに越す事は無いのである。ところが然う云ふ方面の事は此の大著では、大體閑却せられて居て、無識のものをかやうに惱まして居る。是れ自分が本書に於ける博士の婆心を云々する所以である。言は非禮だところもあつたかと思ふが、博士の平常の厚誼に甘えての事である。博士の御諒恕を仰ぎ乞ひて、此の拙き紹介の文を了へる次第である。因みに記すが、「玉篇の研究」四六倍版假裝一卷六五二頁は、昭和八年十二月十日の刊行にて、東京本郷區上富士町一四七番地東洋文庫の發行で定價七圓である。(昭和九年三月二十九日稿)