二 師輔傳の夢物語

師輔傳に

「大かた此の九條殿いとたゞ人におはしまさぬにや。思し召しよる行末の事なども、かなはぬは無くぞ、おはしましける。口惜しかりける事は、いまだいと若くおはしましける時、『夢に朱雀門の前に、左右の足を西東の大宮にさしやりて、北向きにて内裏をいだきて立てりとなむ見つる』と仰せられけるを、御前になまさかしき女房の候ひけるが、『いかに御股痛うおはしましつらむ』と申したりけるに、御夢ちがひて、かく御子、むまごは榮えさせ給へど、攝政關白えしおはしまさずなりにし。又御末に思はずなる御事のうちまじり、帥殿〈○伊周〉の御事なども、これがたがひたる故に侍るめり。いみじき吉左右の夢も惡しざまに合はせつればたがふ、と昔より申し傳へて侍る事なり。此の聞かせ給ふ人々荒涼して、心知らざらむ人の前にて、夢語りなしおはしましそ」

とあるが、此の夢の話に酷似した説話は他にも存する。其は應天門に放火して流されたトモノ大納言善男に關してゞあつて、江談抄卷三に見えるのである。

伴大納言事
被談云伴大納言者先祖被知乎答云伴〈ノ〉氏文大略見候歟哉被談云氏文〈ニハ〉違事〈を〉傳聞侍也伴大納言〈ハ〉本者佐渡國百姓也彼國郡司〈ニ〉〈天ソ〉〈ケル〉ソレニ彼國〈ニテ〉善男夢中見ヤウ西〈ノ〉大寺〈ト〉〈ノ〉大寺〈トニ〉〈テ〉〈タリツト〉〈テ〉〈ノ〉〈ニ〉語此由妻云ミトコロノ胯〈丁タコソ八七カレメト〉〈ニ〉善男驚〈テ〉無由事を語〈テ个ルト〉恐思〈テ〉〈ノ〉郡司宅〈ニ〉行向〈ニ〉件郡司極〈タル〉相人〈ニテアリケル〉年來〈ハ〉七モイハ又ニ俄夢〈ノ〉後朝行〈タルニ〉取圓座〈天〉出向〈天〉事外〈ニ〉饗應〈シテ〉召昇〈ケレハ〉善男成怪〈テ〉且又恐樣我〈を〉スカシテ此女〈ノ〉イヒツル樣〈ニ〉無由事〈ニ〉〈テ〉〈カヽムスルニヤト〉思程〈ニ〉郡司談云汝〈ハ〉高名高相夢見〈テ〉ケリ然〈を〉無由人〈ニ〉〈ケレハ〉必大位〈ニ〉〈ルトモ〉〈テ〉其徴故〈ニ〉不慮外事出來〈テ〉由事歟〈ト〉〈ケリ〉然間善男付縁〈テ〉京上〈シテアリケル〉〈ニ〉七年〈ト〉〈ニ〉大納言〈ニ〉〈ニケル〉〈ニ〉彼夢合〈ノ〉〈ニテ〉配流伊豆國云々此事祖父所被傳語也又其後〈ニ〉廣俊父〈の〉俊貞〈モ〉彼國〈の〉住人〈ノ〉〈リシナリトテ〉〈リキト〉云々

右は高山寺舊藏本殘缺江談抄〈神田氏現藏〉に據り、原のまゝの體裁で引用したのであるが――因みに云ふ、此の夢話の條は、醍醍寺の殘缺本には見えない。類從本江談抄と此の二種古鈔本との關係は、醍醐寺本の方が高山寺本よりも類從本に近いのであるから、若し醍醐寺本に此の夢の記事が有するとすれば、高山寺本よりもやゝ類從本に近いものであらうかと考へられる――此の話の出て居るものとしては、古事談卷二と宇治拾遺物語卷一とが存するが、古事談と宇治拾遺との關係は、殆んど原文と其の書き流し文との相異ぐらゐの程度である。兩者間に關係ありとせば、古事談の文から宇治拾遺の文が出たものと見られる。宇治拾遺の文は二種の江談抄の文と直接の關係があるとは、絶對に見られない(例へば文の尾の「郡司の詞にたがはす」は、古事談には「不㆑違㆓郡司言㆒云々」とあるが、江談抄では見えないのである。)しかして古事談と二種の江談抄との關係は、直接の關係を認めてもよいやうだ。但し高山寺本に近いか、類從本に近いかと云ふに、

  • ミル所ノ夢ハ胯ヲサカレヌ(類從本)〈拙藏寫本「ミトコロノ胯ヲコハサレヌト合」〉
  • ミトコロノ胯マタコソハサカレメ(高山寺本)〈ミトコロは貴所の義〉
  • ソノマタコソハサカレンズラメ(古事談
  • 高名夢想見テケリ(類從本)〈拙藏寫本「高名高相夢見テケリ」〉
  • 高名高相夢見テケリ(高山寺本)
  • 無㆑止高相ノ夢ミテケリ(古事談
  • やんごと無き高相の夢見てけり(宇治拾遺)

と云ふやうな僅少な相異〈但し何れも古寫本は見ず、國史大系本、などによる〉から察すると、古事談高山寺本系統のものによつたのでは無いかと思はれる。さて此の他に、此の夢話の見えて居るものがあるか何うかは知らぬが、今昔物語には、見えて居さうなものだが見えて居ない。もとより無かつたのであるか、現存本が不完本であるためであるかは不詳である。
がとにかく、此の善男の話は、其れが師輔の話と酷似して居る點で注意すべきである。偶然の暗合か、何れか一方が事實であり、其れより一方のが出たのであるか、其れとも原説話があって、師輔の話とも成り、善男の話とも成つたのであるか。夢の事だから、暗合もあり得るが、しかし事柄の酷似は、何うやら、兩説話の間に、暗合に非ざる關係が存するものと認めたいのである。故に、師輔傳の註釋には、善男の話も引きたいものである。しかし、現在では善男の話は無視せられて居る。江談抄により氣づき、念の爲め短觀抄を檢したところ、此の書〈卷四、二一四頁〉は流石に引いて居る事を知つたが其れも「宇治拾遺に、大伴善男吉夢を其妻にかたりたるに、よくもあはせざりければたがひたるよしあり、古事談に出づ」とあつて、是れでは、單に、夢合せが惡かつたと云ふだけの事であつて、胯の事には言及して居ないから、引いても一向に役に立たぬ譯である。さて斯う云ふ類話のまだ存するのか何うかを知りたい事である。(昭和八年四月二十日稿)