さて斯うして本書の大體の性質は判つたが、本書が殆んど世間に知られて居ないものか何うか、果して尊圓の御著述か何うか、誰か本書の事を述べて居るものが居ないかと思ひ、例の和田英松博士の皇室御撰之研究を檢したところ、はたして本書が尊圓親王の條に見えて居た。解説の全文は左の如くである。

拾霞抄
千代菊に與へられたる御墨帖にて、一卷あり。疊字〈伊より須/に至る〉諸國 京條里 官次第 衣服 武具 雜物 香箱 茶具 錺具 禪院寺司 催馬樂名 牛馬鞍具 百首〈名所百首題〉等にて、御奧書に〈希云、奧書は圓選詞林の/ものと同じきもの故略す〉と記し給へり。普通の墨帖にあらず、その材料をも親ら選び給ひしものなり。なほ尊朝法親王は、卷末に、此一册者、以祖師大乘院一品尊圓親王芳跡、遂書寫之切、令授稻垣新之丞者也文祿二年五月下旬 入木道末葉(御華押)親王記之と記し給へり。

これにより、和田氏は尊圓の御著述と認めて居られ、又氏の見られた本は尊朝の御識語通りに一册である事、拾霞抄と云ふのが本名であるらしい事、圓選詞林を文祿二年二月に臨寫せられた臨池末流二品親王を自分は尊朝と推定したが、其れは當つて居り、同じ年の五月下旬にも書寫せられ、其の時は稻垣新之丞と云ふのに與へられたのであり、其れも一册本であつた事などが判るが、最も注意すべきは内容に關する事である。即ち拾霞抄には疊字の次ぎに諸國、京條理、官次第があるが、圓選詞林では諸國、京條理が無い。しかして是れは、先きに詞林に於いては裏册の卷首に於いて脱落のある事を述ベたのに關聯するのであつて、つまり詞林でも、本來は諸國、京條里、官次第と續いたのであるが、卷首の若干紙が失はれて官次第の中途から始まつて居るのである事が判る。次ぎに拾霞抄では禪院寺司の次ぎが催馬樂名であるが、詞林では禪林寺司と催馬樂名との間に、樂に關する項目がある。(それは催馬樂名と共に甚だ亂雜不完全なものである。)これらのものは拾霞抄には無いのであらうか。此の點は疑問である。和田氏は尊圓の御著として左右樂目録と云ふのを擧げて「壹越調以下神樂に至るまでの目録にて、一卷あり、原本御自筆のまゝを文化十一年摸刻せり」と解説して居られるが、これが何うやら詞林の樂關係の項目と關係があるらしく想像せられるが、左右樂目録を見ないために明言は出來ない。次ぎに拾霞抄では催馬樂名の次ぎは「牛馬鞍具」の項であり、其の次ぎに名所百首題が來るのだが、詞林では催馬樂名から丁が變りて直ぐ百首に續き、百首題には落丁あるらしくして、丁がかはりて拾霞抄の「牛馬」と覺しきものに續き、さて丁はかはらずに次ぎが鞍具と成つて居る。拾霞抄では「牛馬鞍具」と一項と成つて居るらしいが、詞林では牛馬、鞍具と二項に成つて居たものと信ぜられる。さて「車具」に至りては詞林に見えるが、拾霞抄には無いらしい。以上の如き本文の相異が考へられるのである。斯う云ふ本文の相異があるのを見ると、詞林と拾霞抄とは、同じ奧書があるにしても、内容は少し異るものと想像せられるが何うか。