本書の本文としては、寛文二年四月版〈後摺もある〉と續類從中の活版本とが存したのだが、傳爲相筆と云ふ極札ある鎌倉末期の古寫本が、今度複製せられたのであるから、學界としては大變悦ぶべきである。校異表は、前田家所藏の譚玄本、其の他木版本、續類從本、神宮文庫の村井古巖獻納本等との校異を示したもので實に結構である。自分は木版本と爲相本との相異を版本へ記入したのであるが、自分が木版本でいぶかしく思うて居る條――それは多くは無い――を、爲相本にあたつて見た結果「とうとく」〈貴の義、上二二ウ、四二ウ〉「たとひとりたるとても」〈下一一オ〉「かみはそらけあがりて」〈下二五オ〉の校異が漏れて居る事を知つた。即ち爲相本では其れ〴〵「たうとく」「たとひとりたりとても」「かみはそそけあかりて」とあるのである。此の校異表は、假名遣や比較的重要で無いものは取り上げない方針らしく、(假名遣の如きは擧げる必要も無く、又擧げきれるものでは無い、但し、「お」「を」の混同甚しく、助辭の「を」を「お」で示す事の多いのは、注意すべきである)其れは認め得る態度であるが、「とうとく」の例は音韻史的に見て重要であるから、木版本の誤なる事を示して然る可く、「たとひとりたるとても」も爲相時代の語法としては(無論承久四年の語法としても)注意すべきであるから、爲相本では然うは成つて居ない事を、積極的に示してほしい所であつた。「そそけあがりて」に至りは見落しだらう。