前田家本は古寫本だから、木版本よりは無論勝れて居るが、中には惡い所もありて、其れは解説で指摘せられ居る。が其の中で一番大きな錯簡に關する説明が少し不充分であると思ふから左に述べる。其れは上卷眞如法親王傳の所であり、木版本で云へば一丁裏八行の「ことはりにもすぎてわづらひおほ」の下から、三丁表九行の「と侍る事思いでられて」の上までの三頁分に相當するものに於いて、爲相本に錯簡が生じて居る事であつて、譚玄本も此の通りであり、木版本、續類從本、神宮文庫本等は一類で同じ本文であると云ふ。池田氏は、「何故に、このやうな錯簡が生じたかは、今の所不明といふより外はない」と云はれるが、これは實は千慮の一失であつた。

今爲相本を見るに、四丁表より裏への續き、又五丁表より裏への續きは、文章も續いて居り、何ら異状は無いが、四丁裏より五丁表への續き具合は「異代にかへしなど」と、動詞・助動詞の接續は正しいが、文章としては連絡が無い。しかして斯う云ふ事は、三丁裏から四丁表へ續く所に於いても、五丁裏から六丁表へ續く所に於いても云ひ得る事である。だが、此の四丁二頁五丁二頁を、木版本とたゞ比較しさへすれば、爲相本の五丁裏から逆に四丁表へ文章が續き居る事が判るであらう。こゝまで述べて來たら今はも早や冗説する事は不要である。爲相本の四・五の兩丁は綴ぢ誤られて、表裏が逆に成つてしまつたのだ、即ち、今のまゝの丁附では、三丁裏、五丁表裏、四丁表裏、六丁表の順に改めれば、文は完全に續くのであつた。要するに、御物更科日記に見るに似た錯簡が、爲相本にも存するのであるに過ぎない。此の錯簡は前田家で、今の表紙を添へるため改裝する時に生じたものであるかも知れない。

こゝの文に、木版本〈三オ五〉では

この人菩薩の給はざる事なし。汝心ちいさし。………

と成つて居るのがあり、濁點も施してあるが、此の儘では此の文全く意が通せない。然るに爲相本にては「給」字が「行」字と成り居り、

この人菩薩の行はさる事なし、汝心ちいさし。………

とあるのである。是れでこそ意は通じる、こゝは「この人」即ち化人が親王のやり方を難詰して、「菩薩のぎやうる事無し」、菩薩行は然う云ふ事、であつては宜しくない。汝は心が狭小だ、そんな人間の施物は受けないぞと拒絶した事を云つて居るのである。解説が「この人菩薩の行はざる事なし」と濁點を施し、「おこなはざる事」と動詞の否定に讀んだのは誤であつた。菩薩行と云ふ名詞である。

因みに云ふ、眞如法親王が渡天の途中羅越國で、虎害のため遷化遊ばされたと云ふ事は、廣く傳へられて居るが、正史には見えない事で、學者は俗説として一蹴して居る。斯う云ふ俗説が何時頃より行はれ出したか知らぬが、大日本史東大寺凝然の著述を擧げて居る。しかし凝然は仁治元年の出生にして、仁治元年は閑居友の出來た承久四年よりは十八年も後である。虎害云々の事は親王の傳にも書いてないから特に記すと特記して居るのを見ると、本書の如きは虎害説を記したものとしては古い方であるかも知れない。