なほ爲相本の本文について氣づいた事を述べると左の如き事がある。

  • ○下卷十一裏、例の長谷寺月詣女の條に「この事あやしむべき人にはあらで」とある「あやしむ」が、諸本此の通りであるのに、爲相本に限りて「あやむべき」とあるので、解説は「あやしむ」とあるのが正しいとして居るが、「かろむ」「かろしむ」と同じ關係で「あやしむ」に對する「あやむ」も存し、國語辭典は千載集や堀川百首の用例を擧げて居るから、必ずしも「あやしむ」を正しいとするにも及ぶまい。
  • ○上卷八表、善珠が僧房の壁に唾を吐きかけたので、死後せつかく兜率の内院に生れながら、此の土に歸された事を記し、さて「さま〴〵のもちものかへしろなへていみじき名香どもかひて、ゆにわかして、僧房のかべをあらひ給ひて、内院の往生とげたる人也」と記して居るが、此の「かへしろ」は國語辭典に「返代、つりせん(釣錢)に同じ」とあるものとは異り、替代即ち賣代の義であらう、所持品を賣り拂ひ、其の錢でいみじき名香など買うたと云ふのだが、「かへしろなへて」では意が通ぜぬ。爲相本にも此の通りにみるが、恐らくは、「かへしろなして」とあるべきものと思ふ。
  • ○上卷駿河の國宇都の山に家居せる信の條に、或る僧が、殊勝なる便宜坊に自分は僧侶であり乍ら出離の道に迷うて居るから教へてくれと頼んだところの文に「まうけ給ぬ」と云ふ語〈三五ウ八行〉がある、爲相本では「さうけ給ぬ」に作つて居るが、「さうけたまひぬ」では、こゝ意味が通ぜないやうに思ふ。「うけたまはりぬ」の誤ではあるまいか。「給ぬ」を謙遜の語として「うけたまへぬ」と讀めば、このまゝでもよいが、本書には、然う云ふ「たまふ」は見えないから、「たまへぬ」ではあるまいと思ふ。
  • ○下卷の怨み深き女が生き乍ら鬼に成つた話に、男に疎んぜられた女が恨みて食を斷つた事を述べ「またとしのはじめにも、なりぬべければ、そのそめきにも、この人のものくはぬ事も、さとむる人もなし」と記して居り、木版本〈六オ七行〉は「そめぎ」と濁點を施して居るが、こゝは、やがて正月にもならうと云ふので、歳暮の營みのゾメキ〈騷ぎの義だが、こゝは先づ、ゴタクサ、混雜位で可からう、沙石集に用例がある、但しこの頃はソメキであつたかも知れぬ、江戸期ではゾメキである。〉に取り紛れて、女の斷食を知らなかつたとか何とか云ふ意味であるらしいが、「さとむる人」が判りかねる。斷食に氣づかなかつたと云ふのであるならば「とがむる人」とでも有りたきところであるが、氣も付かず、從つて制止もせなかつたと云ふのであるならば、「然止さとむる人」と解すべきであり、これなら本文は此のまゝで可い筈だ。何れが可いのだらうか。
  • ○下卷の「やみのあきま」〈七オ九行〉「後のよの事をば、かけふれ思ひもよらず」〈三三オ二行〉は何れも爲相本でも此の通りであるが、私には此のまゝでは理解できぬやうに思ふ。がまだ考へ得ない。
  • ○上卷宇都の山の便宜房の條に、この僧の日常生活を記して「さてゆきとまる所にて。むしろこもめぐりにひきまはして。さるべきやうにいゑゐしつゝ。ひでものしてくひなどしける」〈三五オ〉と云つて居るが、爲相本には「いゑゐしつらひてものしてくひなどしける」とある。木版本の「ひでもの」の濁點や句讀は本のまゝに從つたのだが、「ひでもの」が判らぬ。爲相本によると、「家居しつらひて、物して、食ひなどしける」であるらしいが、「物して」が落ちつかぬ、「しつらひ、てものして、食ひなどしける」でも判りかねる。