野村博士が、近古時代説話文學論の中で、本書下卷に見える長谷寺へ月詣する女の話と、長谷寺靈驗記下第二十七話との關係を考察し、閑居友は靈驗記から取材したのであらうと論ぜられたについて、解説は鎌倉末期を下らざる古寫本靈驗記の本文を擧げ、且つ閑居友から靈驗記の文が出たとする永井義憲學士の説を擧げて居られるが、閑居友をかねてより研究して居られる神谷敏夫氏も「國學」第五輯〈日本大學刊、昭和十二年一月號〉の中で靈驗記と閑居友との關係を考へ、靈驗記卷上、第十七語に「後鳥羽院」の語のある事を指摘し、靈驗記が、後鳥羽院と申す御謚號の治定した仁治三年七月以後のものたるべき事を論じて居られる。氏は承應四年刊行の靈驗記により立論せられたのだが、論法は正しい、前田家の古鈔本では何う成つて居るだらうか。