下卷「なにがしの院の女房の釋迦佛おたのむこと」の條に、著者のほの知つて居る某の院の女房が、病氣と成つたのを、著者が見舞に行つて、いづくの淨土を心に懸けて居るかと問うたところ「なにとなくたのみなれにしかば、靈山淨土にむまればやとおもふ也」と答へたのに感激し、長々と釋尊讃歎の文句を書きつらね、さて衆生を見る事なほ子の如しと云はれた釋尊の慈悲心にそむくだらうから、今後は生きとし生けるものは、みにくき虫までも疎むまじ「いまよりは、かやうのくちなは、みゝすまでも、いたくうとしとは、さしはなたじよとおぼゆ、よゝへたる父母、むつ事のなからひにてもあるらん」〈木版本では三一ウ〉と云つて居るが、是れを見ると、堤中納言物語の「虫めづる姫君」が、模型の蛇で動くやうに成つて居るのを惡戲好きの或る上達部より贈られて、さすがに恐しと思ひ「なもあみだぶつ、なもあみだつ」と唱名し、それでも「生前の親ならむ、な騷ぎそ」と、恐れ惑ふ侍女共を制して居る語を思ひ出す。蛇を見て前世の親ならんと云ふ事、恐らく佛典に典據があるのだらう。