最後に本書中の語彙で注意すべきもの、を列擧する。淺學な私では理解できぬものも擧げて、識者の教示を乞ふと共に、私の備忘用ともする。

  • ○あやむ〈下一一ウ〉 諸本「あやしむ」に作るが、爲相本にのみ斯くある。怪しむだが、これで可い。既述。
  • ○あはたかし 「かしのみおなんとりおきて、くひものにはてうじける、まへに池お、てづゝげにほりて、それにいれをきて、あはたかしなどしけり」〈下一オ〉「あはたかす」と云ふ動詞らしいが意義不詳である。
  • ○あたる 上〈三三ウ、二度、三七ウ〉 下〈一六オ〉 などに見える。今の「辛くあたる」の「あたる」で珍しくないが、自分には珍しく見えるので擧げる。
  • ○ゑわらひ 上卷〈三〇ウ〉「たかきゑわらひもせず」。國語辭典は字鏡集と枕草子を引いて居るが、後者には本により相異がある。類聚名義抄に咲ヱワラフ。
  • ○かへしろ〈上八オ〉 替代であらう、賣代の義。既述。
  • ○かんぞり〈上三四オ〉 剃刀の義、國語辭典は此の形を擧げず、多武峯物語により「かうそり」を擧げて居る。木版本に「はんそり」とあるは誤。
  • ○かほたて〈下二六オ〉 國語辭典に擧げず、今のカホダチに相當するやうだ。
  • ○後世とる〈上三四オ三五ウ〉 此の云ひ方が珍しい。
  • ○これう 「さてしばしは、さるほどのこれうを、日に二たびくひけるが、後には一日に一合のこれうを一たびなんくひける」〈上二四ウ〉「日に一合のこれうをくひて、さらにそのほかのものもくはず」〈上二九ウ〉木版本は皆「かれう」に作るが爲相本に從ふべきだらう。簡易な糧食らしいが、語義不明である。
  • ○さかまたぶり〈上一六ウ一七ウ〉 「またぶり」の語は和名抄に見え、枝の分岐したものを云ふ。枝の先を二股にし、持つ所を丁字形にしたものを「またぶり杖」と云ひ、宇治拾遺卷十四「經頼蛇に逢事」の條に見え、實物は繪卷物に珍しく無く、僧俗男女使用して居る。鹿の角の形に似て居るから、鹿杖(かせづゑ)と云ひ、此の名和名抄にも見え、宇治拾遺卷八「下野武正大風雨日參㆓法性寺殿㆒事」の條にも見える。「さかまたぶり」と云ふと「逆またぶり」で、またぶり杖の逆のもの、即今の松葉杖のやうなものに聞えるが、乞食僧が「さかまたぶりといふことをたてゝ、ものをこひてよをわたるあり」と云ふ文句で見ると、普通のまたぶり杖をさかさまに立てゝ、占か何かでもして居たやうに思はれる。折口博士の古代研究に、昔は乞食房主が此の杖を持つて歩いた、西洋にもある形で、物を探つて行く爲めのものだ〈上六〇九〉とあるが、何うやら呪術と關係があるらしい。但し日本では何も乞食房主の專有物で無い事は上述の通りである。宇治拾遺の經頼は相撲取であり、武正は隨身である。
  • ○さうき 下卷の「もろこしの人馬牛の物うれうる聞て發心する事」の條に〈一八ウ〉親子三人が山の麓に隱棲して、「さうき」と云ふものを日に三つ作りて娘に賣らせたとあるものだが、何の事か全く知らない。
  • ○しのばし〈上三一オ四〇ウ〉 「忍ぶ」から出た形容詞で、慕はしいの義、國語辭典は撰集抄から用例を取つて居る。
  • ○そめき〈下六オ〉 木版本には「そめぎ」と濁點が施してあるがゾメキであらう、國語辭典は沙石集を引用して居る。既述。
  • ○それがし 上〈三ウ〉 下〈四ウ〉等に見えるが、前者は不定稱の某の義、〈「なにがし」も下二六ウに見ゆ〉後者は自稱である。自稱の用例としては擧げて可い方のものである。
  • ○そら物ぐるひ〈上一七ウ〉 伴狂の義、國語辭典に採取して居ない。
  • ○とりむすめ、とりおや〈下八ウ九オ〉 國語辭典は本書より此の語を採取して居る。「とり」は取であり、養女、養父母の義。同じ類の語にトリコと云ふのがあり、發心集にも見えるが、類聚名義抄に猶子をトリコと訓んで居る。
  • ○はしばみて〈下五オ〉 顯基中納言が捨てた室の遊女の事に關して「さやうのあそび人となりぬれば、さるべきさきのよの事にて、いかなれとも、はしはみてこそ侍を、あぢきなしよしなしとおもひさだめけむ事、たぐひなく傳へし」と述べて居る。「いかなれとも」も判らない言葉である。
  • ○びん〳〵なる事〈上三五オ〉 「つねには、そのさとのものどもにつかはれで、びん〳〵なる事をば、いみじく心してしければ、びんぎ房とぞ名づけたりける」とあるが、「便々なる事」「便宜房」の字をあてるべきだらう。
  • ○ひらかど〈下一三オ〉 長谷寺へ月詣する女房が、京へ上り、姉と成つてくれる人の家を物色する場面に「いたくむげならぬいへの、いとふるびてみゆるが、ひらかどに車よせなど、さるほどにしたるが、いたくさはがしくもなくて、うちしめりたるやうなるありけり」とある。「ひらかど」は平門らしいが、何う云ふのを云ふかを知らぬ。
  • ○ふところせばくなる〈下一〇オ〉 右の月詣の女が、幸福を望んで三年も月詣して、いよ〳〵錢が乏しく成つて行く事を記すに當り「さすがたやすからぬ道なれば、いよ〳〵そのふところも、せばくぞなりまさりける」とあるのだが、「懷があたゝかい」「懷がさびしい」などゝ云ふのと同じ類の云ひ方である。
  • ○骨を折る〈上五オ〉 如幻僧都の事を記して「くまのにこもりて、身をくだき、ほねをゝりて、ひとすぢにおこなひたまひけり」とあるもの、國語辭典は夫木抄所見信實の「さりとてもさせる事なき破れ傘骨を折りてぞ君につかへし」の歌を引いて居る。
  • ○むさう〈上四九ウ、下三オ、二三オ〉 無慚の音便化したもの、國語辭典は宇治拾遺を引いて居る。
  • ○むらなし〈上三六ウ〉 「むらなきがうのもの」とある、拔群の勇者の義であるやうだから、「むらなき」は群無きか。
  • ○めもはつかなるわざ〈上一七オ〉 清水のはしの下〈五條橋の事だらう〉に住む乞食僧が、時の大臣の修する盛大な佛會の説法の高座に無斷で上つた事を記し、さて參詣の人々について「あれはいかにぞと、めもはつかなるわざかなとあやしみあひたりけれど………」と述べて居るのだが、「はつか」が判りかねる。驚き呆れた眼で眺めた事を云ふらしく想像せられるに過ぎない。
  • ○目だゝし〈上二九オ〉 木版本に「かやうにふつに身をすて侍人には、をはりのとき、かならずめたしきほどの瑞相の侍なめり」とあるものにて、爲相本に「めたゝしき」とあるのが正しい。國語辭典は發心集の例を引いて居る。「めだゝし」は「目立つ」の形容詞形で、「腹立たし」「面だたし」と同じ云ひ方である。
  • ○山おくり〈上一四ウ〉 葬送の事で、野邊送りとも云ふ。野と山とで云ひ方がかはるだけの事である。國語辭典は撰集抄を引いて居る。