2010-09-22から1日間の記事一覧

寛元三年の頃に問題と成つて居た朱點墨點の事は、今日でも判らないやうだ。伴信友は文政三年十一月、其の校するところの類聚名義抄に「附言」を加へて 字鏡集跋文云、朱點東宮切韻、今欲㆑爲㆓比校㆒見在字鏡集諸本、悉作㆓墨點㆒不㆑見㆑有㆓朱點㆒加㆑之施…

立ちかへりて、春村の説を見るに、狩谷望之の歿後、其の本を天保十二年六月に轉寫せしめ、其の本の尾に、解説めく一紙を添へ、其の中で 抑この字鏡集は、いまだ世に著者の名を傳へず、故わが本の跋記に據ておもふに、小川僧正承澄の作なるべし……此僧正はいみ…

字鏡集の製作年代に就いて述べたものとしては、黒川春村、伴信友、昨非庵是翁、敷田年治、小中村清矩等の説がある。いま便宜上、春村の説は後に述べる事として、先づ信友の説から擧げて行くと、信友は比古婆衣卷五喚子鳥〈全集本百頁上〉の條に於いて、字鏡…

字鏡集の本文としては二十卷本と七卷本とが知られて居る。兩者は異本關係にある。二十卷本の代表は、前田侯爵家の應永古鈔本二十册であり、應永と呼ぶ人もある。應永二十三年六月頃から寫し出して、翌二十四年の八月か九月かに寫し了へたもので、一・二・二…

字鏡集は、部首類辭書としては、慶長の刊本倭玉篇までのものゝ中では最も大部のものであり、字鏡集以前の辭書たる新撰字鏡、世尊字本眞本字鏡、類聚名義抄に比しては最も日本化したものである。しかも異體の字を註記し、韻を示すなどの點では、古本和玉篇や…

寛元本字鏡集の識語

岡田希雄 歴史と國文學 26(6): 9-21 (1942)