ドルメン六月號に見えた菅谷泰昌氏の文は面白く拜見したが、土工達が、彼れら相當の語原意識をはたらかせて「背摩セスり」説を説くのを知り、彼れらにも素人語原解釋のある事、しかも其れが堂々たる大辭書言泉の「千摩」説と徑庭無きを知り、特に面白く考へた。語原を常識的に解釋する事は普通人にもある事である、と云ふよりは、如何なる人でも、多少は、自分らの使用する言葉について、其の知識相當の語原解釋をするものなのだと云つてよいやうだ。土工連中の語原解釋も、要するに其れなのである。斯う云ふ事から考へると、セヅリがセズリ又はセンズリと成る現象については單なるズヅの混訛と云ふ以外に、裏面には此の語を、「摩る」と云ふ事に結びつけようとする語原意識が手傳うて、セヅリがセズリと變訛してしまふ傾向を、助長したかも知れないと云へさうである。丁度、噛む、蹴るの駻馬にふさはしい生唼イケヅキ(スキは「ク」の名詞形である)と云ふ名がズヅの混訛から、優しい「池月イケヅキ」と成つたのと同じやうに。
但し其の菅谷氏の文中に見えたキセハギの語が京都にて行はれて居ると云ふ事は、未だ確めては居ない。けだし斯う云ふ言葉に就いて、むやみやたらに、見さかひ無しに質すことも出來ないからである。なほ、此の言葉と云ひ、「百むくり百被り」と云ひ「川をあちこち」の歌と云ひ、何れもHautの事を主眼として居るのから察すると、カハツルミが「皮によりてつるむ事」の義にして、おなにいの義である可き事は、私としては、いよ〳〵動かす可らざるものと信ずるのである。(因みに佐官氏も亦、第二信で千摩説を附記せられた。センズリは、セツリ又限セヅリの轉訛形であると説く私の語史的説明は、理解せられにくいのであらうか。)