二七 海蜯(一○)
- ○二七 海×(一○) 下蒲項反、蛤也、
之士美 (×は虫篇に奉) - 慧苑に比べると反切と蛤也とが一致する、慧苑には字形に關する註が四字ある。此の虫篇に奉を書いた字は蚌と同じ字であつて類聚名義抄は
ハマグリ
と訓じて居る。辞書に蜃や蛤と同じとあるから大體ハマグリの樣な形の二枚貝と見たら可からう。これらの字をシジミと訓むのが正しいか何うか、昔のシジミと今の物とが名は同じでも實は異るのであるか何うかなどは、今は問題とせず、言葉だけについて云ふと、シジミの語は萬葉集〈六ノ九九七〉に「住吉の
とあり、新撰字鏡に粉濱 の四時美 開藻不見 隱耳哉 戀渡南 」「蜆、之自彌」
、和名抄に「蜆、之々美加比」
とある。顯宗仁賢兩天皇が奴として隱れて居られた
〈記〉志自牟
〈顯宗紀〉は、播磨風土記美嚢郡の條には縮見
と書き、志深 伊射報 和氣命が、此里の井の邊で食事せられたところ、信深 貝が御飯筥の縁を這ひ歩いたから、志深里と名づけられたと記して居る。地名傳説ではあるがシジミの語例には成る。シジミのミの假字、美・見は一類だから正しい。(萬葉の例はシジミと訓まぬ學者もある)