二八 雅(一一)

○二八 雅(一一)  音牙、訓末曾伎マソキ
これも慧苑には見えない。毗盧遮那品「一切樂中、恒奏㆓雅音㆒」五一ウ上二とある雅字の註である。末曾伎はマソキであらう。雅音と續くのだからマソキはマソシと云ふクシキ型形容詞の連體形かも知れぬ〈本書中、形容詞を終止形でかかげぬ例としてはサガシキヲがあるのみ〉だがマソシと云ふ形容詞の存在を自分は知らない。マソはマサの轉訛でもあらうか。景行紀十七年の御製「命の摩曾祁務人は」とあるマソケムは記にマタケムとあるもの故、マタケムだらうと解せられて居るがとにかく、形容詞としてはマソシで無ければならず〈國語辭典不採録マソキから想像せられるマソシと全く同音語と成るが、此の二つのマソシが同語か何うかは明言できない。要するにマソキは用例の見出せぬ珍しい語である。曾の仮字の當否も不明、同語ならば正。(有坂氏の法則によれば、マに伴ふソだから、甲類のソである方が可いらしい。但し乙類の曾が宜しくないと云ふのでも無い)形容詞語尾としての伎は正し。