二九 止(二)

○二九 止(二)  二同、宿也、住也、夜牟ヤム、又制也
慧苑には萃止として出て居り、此の私記では「十方東〈○來の誤〉萃止」の註であり乍ら、止字が大きく書かれ居り、しかも楷體の止と草體の止とが書かれて居るから二同〈二字共に同じの義〉と註せられて居るのである。經文〈五二オ上一〇〉では諸菩薩衆が十方より世尊説法の道場に萃止〈○慧苑に萃は集也とある〉したとある。これでは、宿、住の義であり、制では無いやうだ。ところで國語では宿・住にあたるものと制にあたるものとは區別がある。ヤムは四段の時は或る行動の中止であり、自動であり、下二段の時は他動であり、これらは制に當るのだらう。一方トドム〈他四、他下二〉トドマル〈自四〉トム〈他下二〉トマル〈自四〉等の語があり、これには制止・停止の義もあるが、住、宿の義もある。しかして經文の義では、行く事をヤメル義としても必しも惡いとは云へないが、世尊説法の道場にトドマルと訓む方が正しいと思ふから、こゝはヤムでは宜しからずしてトム・トドム・トマル・トドマルの類が正しいのでは無いかと思ふ。がとにかくヤムと云ふ語は、神武記御歌「‥口ヒビくわれは忘れじ撃ちてし夜麻牟」とあり、出雲風土記にも鹽冶郷ヤムヤノサト、本字止屋」とある。トドム〈他四、他下二〉トム〈他下二〉トマル〈自四〉の假名書も亦萬葉集にある。但しトドマルの例は然う讀む他無い例もあるが、假名書は無い。