三〇 機關(一三)

○三〇 機關(一三)  木人、久〻都クグツ
人字、原本には「一生」の二字を上下に合せた字に作る、則天武后制定字の一である。さてこれは經文〈六二オ下尾三機關木人と續く語であり、慧苑も四字續けて擧げて居る。此の私記の如く木人を註文中に書いて居るのは誤である。機關木人の四字でクグツと訓むべきだ。さて機關木人とは、機關〈後世の語ではカラクリに當る、古語ではワカツリ、ワカツリの事は一五四で説く〉で動くやうにしてある木製人形の義で、和名抄「傀儡、和名久々豆」とあるもので、類聚名義抄クグツと濁點を施して居る。クグツに關した語としては、其れを、あやつり動かす人間を云ふ所のクグツマハシと云ふ語が、定頼集「八幡に詣で給ひて、木の本にとまり給ひて、ごみと云ふぐぐつまはし呼びにやり給ひけるが云々」とあり、俊頼の散木集連歌「伏見にくぐつしさむがまうで來りけるに‥‥くぐつまはしはまはり來て居り」等とある。「くぐつしさむ」も、くぐつの「しさむ」で無く、「さむ」と云ふ「くぐつし」とすればクグツマハシをクグツシと云つたらしい事も考へられる。漢字面としては、クグツマハシを傀儡子と書いた事が、大江匡房の傀儡子記三卷本色葉字類抄で判るが、名義抄クグツマハシ傀儡と書き傀儡子クグツと讀んで居る。三卷本字類抄傀儡子クグツともクグツマハシとも訓んで居るのだから、人形もクグツ、人形を使ふ人間も亦クグツと云つた事が判る。和名抄俗名㆓傀儡子㆒爲㆓郭禿㆒とあるのは、三卷本色葉字類抄を參照しても、人形の事であるか、クグツマハシの事であるか判りかねる。ところで其のクグツマハシの連中が、浮浪藝人として定居なく、穹廬氈帳の天幕生活式であり、水草を逐うて移渉し、男は弓矢で狩獵を事とし、又雙劍を輕業式に弄び、沙石を變じて金錢とし、草木を化して鳥獸とすると云ふ手品式の藝を行ひ、女は遊女と成り、しかも彼等には黨派もありて豪貴なものも居たと云ふ事で大江匡房傀儡子記其れらの遊女をクグツとも云つたのである。さて人形を意味するクグツの語は萬葉集にも見えないが、クグツと稱する器物の名は「三津の海女アマメの久具都もち、玉藻刈るらむ」と見える。其の器物は袖中抄〈一六〉「藁にて袋のやうに編みたる物なり、其れに藻などをも入るゝなり」と解釋しあり、材料は久具(莎草和名抄漢語抄云久具と見える。望之はハマスゲ又はカヤツリグサと云ふと云つて居る。此の兩種の草は、村越氏の大植物圖鑑の莎草科に見え、別物であり、後者はクグガヤツリと稱する由である。但し何れも似た植物である。又莎草科は禾本科と極めて親密な關係にある〉)であるから、クグツと云ふ名があると云ふ。ところで、折口信夫博士は民俗學的見地から「浮浪ずる山の遊行神人團がホカヒであり、コゴトムスビの神の名に因むらしい海の巡遊伶人團がクグヅであつた。海の巡遊伶人團は、彼等が神として仕へる靈物即ち人形を、神聖な容器に入れて歩いた、其の容器は莎草クグで編んであるで、クグツコと云はれたが、其のクグツコのコが脱落してクグツと成り、容器も、容器の中に入れられてある人形もクグツと呼ばれ、やがて其の特異なる容器を持つ人々の義で、伶人團までがクグツと呼ばれたらう、丁度、山の遊行神人團がホカヒと云ふ特殊な旅行用器を持ち歩いたゝめ、神人團自身がホカヒと呼ばれるに至つたやうに。此のクグツ(人形)は手で動かされたが爲か、手がある爲めであるか、手クグツと呼ばれ、それが轉訛せられてデク・デコ(木偶)とも成つた。傀儡子クワイライシとクグツとは別物だが、似た樣な浮浪生活をして居た」〈採意〉といふ風に推定して居られる古代研究當否を批判する能力は無いが、暗示に富んだ説である事は想像できる。