三二 下裾(一四)

○三二 下裾(一四)  〻記魚反、衣後也、又衣袖也、衣扈衣也、倭云、扈
下裾の語は慧苑には無く、倭言云々以外は全く大治本音義に據つたものである。經文では前後の語から推すと、六十五丁表上段十二行から十四行の間に無ければならぬ筈だが見えない。淨行品第十一は短いのだが、見出し得ない。さて袖字、私記は衣篇に曲字の樣な旁にしてあるが、別筆で袖字と訂してある、大治本は元より袖である。扈字兩方とも扈の形とは成つて居ないが、活字體に改めた。ここの倭言は(即ち裳の義)である、毛字の次の扈字は註文中の字を註尾に再記したまでゝあり(斯かる例は、此の音義中には夥しくある、例へば十四卷の甲冑の注尾には六字も存する)毛扈の二字で倭訓を示して居ると云ふのでは無い。さて裳の假名書は萬葉集に珍しく無く、裳を難波乃海跡ナニハノウミト名附家良思裳ナヅケケラシモと云ふ風にモの訓假名にして居る例も夥しい。