三五 甲冑(一四)

○三五 甲冑(一四)  廣雅曰、冑兜×〈敬の下に金を書く、正しくは敄の下に金である可きだ〉也、×音牟、訓與呂比ヨロヒ、或上爲㆓甲冑㆒上又作㆓鉀字㆒、冑除救反、與㆓△○字㆒同、冑兜×也、又冑胤續繼也、與呂比ヨロヒ〈○六字略〉(△○は、金篇に由/革篇に由を書く)
こゝの冑字は二種の形で無ければならぬが、皆曹字の第六七の縱の畫の一本足らぬ形に書いてある。註尾の六字は註文中の珍しい字を六字書いてあるのを〈斯かる事は珍しくないが六字も存するは珍しい〉省いたのである。さて是等の註を慧苑音義などに比べると、「音牟」までは慧苑により、殘りは大治本に據つて居るのだ。但し大治本には倭訓は無い。其のヨロヒと云ふ倭訓は萬葉集にも無いが、ヨロヒと云ふ名詞形の原形たる動詞のヨロフは、卷一取與呂布天乃香具山の句に見える。假名も一致するから、與呂はこれでよいのだらう、比は四段活の連用形語尾として是れで正しい。下の二十三卷にもヨロヒは二度見える。(此の後のものとしては、新撰字鏡享和本和名抄にヨロヒの語が見える。)