三六 麁澁(一四)

○三六 麁澁(一四)  (十字略)上アラシ、下之夫之シブシ曾〻呂氣之ソソロケシ
「十字略」の所は澁字の字體の説明である。幾分か慧苑に似て居る。「上荒」の荒は麁字の字義を忠實に示したのでは無く、アラシと云ふ和訓を荒字の正訓で示して居るのであらう。さてシブと云ふ語は、普通の語としては萬葉集にも見えないが、越中國の地名としてはよく見える。即ち

  • 澁溪乃二上山シブタニノフタガミヤマ一六ノ三八八二
  • 思夫多爾能伎欲吉伊蘇未に寄する波一七ノ三九五四
  • 之夫沸爾能佐吉乃安里蘇一七ノ三九八五。此の他同じ地名の假名書は四所ある〉

と云ふシブタニであつて、射水郡と氷見郡との郡界に當る海岸の地で、卷十九、四一五九號の詞書過㆓澁溪埼㆒見㆓巖上樹㆒歌一言首とある澁溪崎である。近くに國府があり、家持が國司として來り住んで居たので此の地が萬葉集中に屡見えるのである。澁字の今一つの訓ソゾロケシは恐らくソゾロ〈此の語、古くソゾロとなつて居たか、ソソロであつたかは、明言できなからう、類聚名義抄佛下末一八は聲點を指し乍ら、濁點とはして居ない〉から出た形容詞でソゾロハシ、ソゾロガマシなど、似た語であらうが、(松井博士の國語辭典に漏れる)後の新撰字鏡類聚名義抄字鏡集などの索引にも見えない。さてソゾロケシの假名は、ケは是れで可い、呂は不明だがトドロ・コヲロコヲロの如き似た形であるやうに思はれるものから類推すると是れで可いらしい〈有坂氏によりても乙類群だから正しい〉ソソロのソソも安麻曾曾理萬葉集一七ノ四〇〇三のソソと同義とすれば、曾々で可い譯である。但し不明である。