六二 所儔(二〇)
- ○六二 所儔(二〇) 〻直由反、類也、一音義云、又作×〈旁は羽/篇は壽〉字、同到反(翳也)、𦿔也、依也、此義當經、故經文云、善知一切靡所儔、又〈大治本或に作〉用㆓疇字㆒直流反、類也、等也、二人爲㆑匹四人爲㆑疇、是也、疇又耕治田也、耕音常、訓
田反 - 此の所儔は慧苑にも大治本音義にもあるが、前者は極めて簡單で、後者は長文である。しかして此の音義私記は慧苑と大治本との兩方に據り、此の註を書いて居るのである。
直由反、類也
は、慧苑により、其の引書を省いたもので一音義云
は私記著者の言で、一音義は大治本音義の事である。「又作」
から治田也
までは大治本の文である。善字の下の六字は誤脱と見られるから今補うた。又終の疇字も今、意を以て補うた。大治本は「二人」
を「文」
に作つて居るが誤である。耕字は禾篇に井を書いた字に作つて居るが、耕と同じだから今改めた。さて此の註は、經に「儔フ所靡シ」
とある儔字に關し×・疇の字をも書くと云ひ、さて、其の疇字にはタグフ(類)と云ふ義以外に「耕治した田」の義がある、と説き、さて其の耕字の音と倭訓とを記して居る譯である。ところで其の耕字を私記は禾篇に井を旁とした字にして居るが、此の字は康熈字典にも見えない。しかし類聚名義抄〈法下七四〉は耕の俗字として、音は書かずにタガヘス
と訓んで居る。耕には常の音は無いから旁に基く百姓讀か。「訓田反」
は倭訓であらうから、タガヘスと訓む他は無い〈漢文註ならば反田とある可きだが、さう云ふ語が支那にあるだらうか〉さて田は記能煩野陵の段に「那豆岐能多ノ稻ガラ」
、允恭段木梨輕太子歌に「アシビキノ夜麻陀ヲツクリ」
とあり、カヘスは萬葉に「シキタヘノ袖可弊之ツヽ」
「シロタヘノ袖フリ可邊之」
とあるが、タガヘスは、東大寺諷誦文稿に
、新撰字鏡に耕 田加戸須
〈八ノ二オ四、一二ノ三〇ウ一〉とあるが奈良朝期文獻には見えないだらう。此のタカヘスは後にタガエスからタガヤスに轉訛した。其の時期は何時か。字鏡集の應永本にはタカヤス
の語が一つあるが、他本はタガヘスだ。