九八 其甲隆起(二七)

○九八 其甲隆起(二七)  下二字倭言祖利乃保禮留貌ソリノボレルカタチ
慧苑に無し。經文〈一三五オ下四〉に願一切衆生得㆓赤銅甲指㆒其甲隆㆓起清淨鑒徹㆒とあるところだが、其甲以下の讀方は宜しくあるまい、一二と反り讀みする必要は無からう。ともあれ、此の文句は衆生をして佛の相好に近づかしめんと云ふ誓願中にあるのだが、其甲隆起は七十五卷〈經文三五九ウ上尾三に足趺隆起〈趺アナヒラ即ち足の甲〉とあると同じく、足の甲が多肉で甲高である事で、三十二相〈これも不定であるが〉の足趺隆如㆓龜背㆒、に當る。其の隆起をソリノボレル貌と云つて居るのだが、現在われ〳〵の知つて居る範圍内では、ソルと云ふ語にはソルソルソルの三義しか無い、若し此の範圍内で解するならばソルが當るのであらう。因みに、此のソリノボルのソルに關係無いかと思はれるものに、記の天孫降臨の條の有名な宇岐士麻理蘇理多〻斯弖と云ふのがある。ウキジマリは取り離して可いからソリタヽシテだけに就いて考へるに、タヽシテは立タシテであらうが、ソリが判らず、書紀の立㆓於浮所在平處㆒(羽企爾磨梨陀毘邏爾陀々志ウキジマリタヒラニタヽシ)と比較しても解決がつかず、古事記傳も、ソルは逸の義にて道を曲げて立ちよる義か、と一つの臆説を出して居るだけだが、篤胤の古史傳はソヽルの義ではやり立つ義であらうとして居る。當否は判らぬが、ソルをソソルと云ふ形と結びつけるならば、越のタチ山を詠んだ家持の歌に、安麻曾曾理多可吉多知夜麻の語があり、アマソソリは天に聳立する義であり、隆起の語と關係があると認められる。しかし假名から云ふと、家持にも私記にも標記の誤が無いとすると、曾々理の曾は乙類で、蘇理多々斯や祖利乃保禮流の蘇祖は甲類でありて一致せない。私記では曾の假名の方が多いがわざ〳〵祖の假名を使うて居るは僅か二例にて、序文の祖布(添)は正しいのだから、祖利乃保禮流も據處ありげである〈大坪氏の文により、石山寺大智度論第一種點に偃蹇傲慢をソリアガリオゴラムと訓み居るを知つた。ソリタタス・ソリノボル・ソリアガルのソリは同じ物でソソルとは異る。反ルが背(ソ)と關係あるならば、乙類で假名は異るから蘇リタタスと關係は無い。とまれソリタタシの同義語の發見は嬉しい。〉