一一七 痴㲉(五七)

Okdky2008-02-11

○一一七 痴×(五七)  (上略)卵、旅管反、説文曰、凡物無㆑乳者曰㆓卵生㆒也、或卵壃也、壃境也、界也、倭云鳥比古トリヒコ
慧苑にもあるが一致せない。×は卵ノカラの義にして殸の下に卵を書いて居るが、經文〈二七一ウ上尾五〉偏ハ士ノ下ニ冖、旁ハ殳の下に卵を書いた字にして居るが、何れも活字では不便だらうから、符號で濟ませ、註文も其の字に關する所は十五字省いた。經文は、貪愛を水に譬へ、愚痴を卵のカラに譬ヘて居るのである。鳥比古は、此の上に脱字誤字が無いとすればトリヒコとでも訓む他はあるまい。さて卵殻又は卵をトリヒコと云ふ事は他に所見が無く、普通はカヒコ又はカヒと云つて居た。即ち和名抄に卵、加比古とあり、日本武尊御子建貝兒王〈記〉と云ふのがまして、紀〈景行五十一年〉は武卵王とも武殻王〈尤も殻字を皷に誤る、本により卵字に依る〉とも書き、舊事紀は武養蠶命と書いて居る。何れもタケカヒコと訓むべきであり、卵をカヒコと云つた事は明かである。此のカヒコは單にカヒとも云つた。東大寺諷誦文稿に曰の下に卵を書いた字をカヒと訓み、拾遺集物名に「鳥の子はまだ雛ながら立ちて去ぬかひの見ゆるは巣守なりけり」とあり、又源氏眞木柱卷の歌に「同じ巣にかへりしかひの見えぬかな如何なる人か手に握るらむ」とある。其のカヒと云ふは、和名抄によると貝や虫の皮甲などをも云ひ、要するに、殼である。故にカヒコは卵子の義である。斯くの如くカヒコの語は見えてもトリヒコの語は見えないが、常陸風土記〈一五オ、行方郡當麻郷の條〉に鳥日子と云ふ名の佐伯(夷)が見えて居るのは、この音義私記の鳥比古と同じで、卵に因む名ではあるまいか。トリヒコのヒコは人間の彦と同じ語であるらしいが、是れが眞にさうであるとすると、比古の假名は正しい。