一二二 却敵(五九)

○一二二 却敵(五九)  矢倉ヤグラ
慧苑に無し。經文〈二八〇オ下一五〉に菩薩正法城、般若以爲㆑牆、慙愧爲㆓深厘㆒、智慧爲㆓却敵㆒とあるもので、正法城と云ふ譬喩の城を守る防禦物の一つが、智慧と云ふ却敵である。却敵は敵をシリゾケルための防禦用構築物である。矢倉はヤグラと訓む可く、其のヤグラは、和名抄に城上守禦樓とある櫓である。ヤグラの語は倭訓栞に「彌藏の義、重ね造りたるをいふといへり、また日本紀に兵庫をよみ、和名抄に櫓をよめば、矢庫の義にも侍るべし」とあるが、まづ矢倉でよいのではあるまいか。矢の貯藏所であり、同時に矢を射て防禦するための構築物であつたらう。と云ふよりも、防禦用の高き構築物なるが故に、使用の便宜上、そこに矢を貯藏したのだらう。名は矢を射るためのクラで無く、矢の倉であつたらう。皇極記三年蘇我蝦夷父子の暴状を説く所に、家の外に城柵を作り、門の傍に兵庫ヤグラを作つたとある。門を破らるまいために門に防禦力を集中し、そのために門傍に兵庫を作つたのである。矢の貯藏所と防禦の射手の籠る所との關係を察するに足であらう。因みに却敵の語は和名抄も「内典云」として引いて居るが、廣本には「内典云却敵樓櫓」の七字は見えない。しかして平安朝末の古鈔本である高山寺本は内典云とは云はず、具體的に涅槃經云却敵樓櫓等是也と註して居る。即ち同經壽命品第一に見え、慧琳音義第二十五卷に解が見えるが、大般若經第三百九十八卷にも此の語あり、そこににも、慧琳〈音義第四卷〉は註解して居る。要するに城上の防禦物で、矢を射、又其の下に迫つた敵に對し木石などを投下して怨敵を却けるための物である。石山寺大智度論第一種點に樓櫓ヤクラ〉ヤグラに矢倉の字面を使用する事は後世にても普通の事にて、延享四年の「義經千本櫻」の角書は「大物船矢倉、吉野花矢倉」と成つて居るのである。