一七〇 猫狸(七八)

○一七〇 猫狸(七八)  上又作㆓貓字㆒、亡胡亡包二反、下力甚反、猫捕鼠也、眉也、ニ又漢云野貍、倭言上尼古ネコ、下多〻既タタケ
慧苑に無し。經文〈三八一ウ上一一〉に善男子譬如㆓猫狸㆒とある。ネコは興福寺本靈異記第卅話に「狸禰己」、新撰字鏡に禰古、禰古於毛弖の語がある。ネコオモテは註に短面とあるから、猫の顏のやうに、短く圓いのを云ふのであり珍しい。ところで本草知名にはネコマ、猫屎はネコマノクソとあるが和名抄にも禰古麻とあり箋註和名抄は、ネコはネコマの省略形と見て居るが、案ずるに、其の逆でネコ(ネは嗚聲、コは子の義)が原形で、其れよりネコマが出たのではあるまいか。但しマの義は判らぬ。或いは猫を愛して〈我が邦の家庭猫ハ支那よりの輸入動物でカラネコである〉猫麻呂と呼んだのが〈猿をサルマロ、蝗をイナゴマロと云ふ類である〉ロが脱落したものか〈京の烏丸をカラスマと云ふ、〉ネコ・ネコマの語は此の後兩方が行はれたが後に、徒然草に見えるネコマタの語も生じたのである。マタの義は判らぬが、老猫に成りて尾が二股に分岐すると云ふやうな迷信から生じたのであるかも知れぬが、とにかくネコマより派生したものと見られる。次ぎにタタケは本草和名に見えるが、新撰字鏡にはタタケもタヌキも見えず、和名抄にタヌキとある。語原不詳故、タタケのケの假名の當否も到らぬ。

以上で箋註を了ヘたのであるが右の中音韻變化ありと認められるものは(一體某と云ふ語に於ける音韻變化の有無は、其の語の原形即ち語原が判らぬ事には、何とも云へない事であり、たとひ某の語に音韻變化ありと云つても、極めて常識的な推測に墮し易いものだが)

まづ

  • イクヒササアリテカ(ヒサシサアリテカ)、カイ(揖、カキ)、トガリス(鳥狩、トリガリス)、ニハミツ(若し此の形が誤字で無いとすればニハミチ即チ庭道の方が完全な形である)、ハヘラヒ(これも誤寫でないとすればハヘハラヒ、蠅拂が正しい)

を擧げうる位であらう。其の他は指摘が困難である。なほ右の中、音韻的見地、語史的見地から見て注意すべきは

  • アム(蝄)ウマラ(棘)カガフル(蒙・被)カア(蚊)クヒヒス(跟)サヒヅリ(囀)シマラ(暫)ヌテ・ヌリテ(鐸)ノミド(咽喉)ノホギリ(鋸)フセグ(防)フツクロ(懷)ムダク(抱)ヤヒサシ(悋)コミヅ(漿水)

等である。