既述の如く、本書は遺憾乍ら第一帖が、失はれて居るのだが其の内容が何う云ふものであつたかを考へるに、一字名語は第二帖より始まつて居る事から察すると、第一帖は單語の語原の解釋を試みたものでは無くて別な内容のものであつたらしい。しかして、徳川期の語原辭書を見ると、語原總論と云ふやうなものが存するものもあるので、本書第一帖も然う云ふものでは無かつたかと云ふ疑ひは、當然に生ずるのだが、他の帖々に散見する僅少な記事、例へば(此の小篇で名語記の文を引用するには、問・次など云ふ定型語はなる可く省く事とする。濁點や句讀訓點も皆今施すのである。)

  • ○五音竪通□イヘル〈ハ〉サシスセソ〈ノ〉ミナ便宜〈ニ〉シタガヒ〈テ〉カヨヘル也、横通ハ同韻〈ノ〉ミナ通ゼル義也、傍韻相通トモ申セル同義也、第一卷〈ニ〉シルセルガゴトシ(第十帖末「日限事」のシアサテの條)
  • ○日本國〈ノ〉文字ノ音ノヨミ〈ヲ〉シマノヨミ〈ト〉イヘル如何、コレハ第一〈ノ〉〈ニ〉クハシク申セリ、兩樣アリ、一〈ニ〉ハ對馬ノ義、二〈ニハ〉秋津嶋ノ義也(第七帖ツシマの條)
  • ○ナニハ〈ヲ〉難波〈ト〉カケリ、難〈ニ〉ナニノヨミアル歟、如何、答ム〈ガ〉ニゝカヨフ例オホシ、第一卷ノ轉通ノ所〈ニ〉ミエタリ(第七帖ナニハの條)

に據ると、字音の事(對島音は所謂呉音である)、五音竪通(即ち音圖に於ける同行相通のこと)、横通・同韻通・傍韻通(何れも母韻の同じものが通ずること)の事、轉通(ムがニに通ふ如きもの)の事などを説いて居るものであることが判る。恐らくは字音のこと、五十音圖(五音圖)のこと、其の他語原解釋の主義方針等を詳述したものであつたらしい。しかも其れが、何程の内容(丁數)を有して居たかは判らぬながらも、とにかく其れが獨立した一卷を占めて居たのであつたと云ふ事は、徳川期に於いても、然う云ふ類のものは白石の東雅や源式如の倭語小解五卷(なほ同人の倭語拾補十五卷も然うであつたらしく察せられるが自分の見たのは、零本だから明言は出來ない)らに比較し得るだけであるから、此の總論の卷の獨立の一事でさへも、六百六十年前の古書としての本書の組織の如何に整備したものであつたかを認めしめる尺度と成るのである。